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「ごめんね。」

何度も書いているが、俺はサッカーのコーチをしている。そこには当然送迎の保護者が来て、子どもがまだ遊んでいたりすると俺と保護者とで話す機会もある。

以前、ある保護者と話していた時のことである。

話の内容は学校の担任の先生のグチである。


「ウチの子どもの担任、『ごめんね』。これ言えば終わりだと思ってるのよねぇ」と。


小学生、些細なケンカはもちろんあるだろう。
じゃあ、そのケンカが起きたことを知ったとき、担任であるとあなたが仮定したときにどう対処するだろうか。

その保護者の子どもの担任は、当事者2人を呼び出し、「もうケンカしないよ。はい、じゃあなんて言うの?〇〇君」らしい。それで終わりらしいから怖い怖い。

ちがうでしょ笑

「なぜ」ってことが大事なんじゃないの?

どっちが悪いって分かってても両者の話を聞く。

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教師がカメラマンの位置のように一方的にこの子が悪いと決めつけることのないように。
両者それぞれ言い分があるだろうし。

その上で、なんでこれは善しとされないことなのか。相手はどう思うのか。とか、それらを踏まえての「ごめんね」だったりの謝罪や反省だと思っている。特に学校教育の場においては道徳的価値的を伝えるためにも大事だと思う。


教師って大変ですね。

今日はこの辺で。そのうちまた!

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