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自給自足カレッい26

前回=自給自足カレッジ25に引き続き、デビット•モンゴメリーの「土の文明史」の中から、第9章の「成功した島、失敗した島」というところに書いてある、ミニチュア版としての、「文明が如何に土によってその存続可能性が左右されるか」、という論点について今度は隔離された島をベースに色々と考えてみたいと思います。
イースター島は、チリ領ではあるものの南太平洋の孤島で、一番近い島でも2000キロは離れています。モアイ像が立っている島として有名ですが、文明史的には、一つの文明の発展と崩壊があった隔離された場所として、研究対象とされています。
1722年のイースターの日曜日に、オランダ人提督のヤコブ•ロッヘフェーンは小さな火山島を太平洋の片隅で発見したのが、イースター島が西欧社会に知られるきっかけとなっています。その当時には既にイースター文明は崩壊し、人喰い人種が住んでいるだけの未開の地になり果てていました。取り残された少数の食人種は、どのようにして、あの重い石像を立てる事が出来たのか。考古学者が島の環境史をまとめ上げ、高度な社会がいかに未開状態へ退行したかを明らかにしていますが、緑豊かな島を人口増が襲い、島の木を切り尽くしてしまった為に島の環境劣化が激しく起こり、高度な文明を持っていて最大1万人の人口を擁した島が、最も厳しい時には100人程度の人しか養えない島になってしまったようです。
人口のピークは15世紀だったようですが、その後の100年程度で、農業、燃料、カヌー等の為に森林を切り尽くし、土地が剥き出しにされると、土壌侵食が加速し作物の収穫量が低下。魚網を作るのに使う繊維を取る自生のヤシの木がなくなるにつれて、漁業も厳しくなる。食糧が手に入りにくくなると、島での最後の食糧源であったニワトリを守る為に石を積んで囲い込むようになる。カヌーを作れなくなったので、島民は島に閉じ込められ、減りつつある資源を巡って抗争に明け暮れる事になり、最後は洞窟に住まざるを得なくなった。僅かに残った島民にどのように巨石群を石切場から運んだのかを質問しても、先祖のやり方を忘れてしまった人たちは、石像は島の中を勝手に歩いてきたのだと答え、誰も丸太をコロにして運ばれたとは想像できないほど、木が切り尽くされていた。
像の多くは未完成だった石切場近くに打ち捨てられたりしており、彫像師が最後の最後まで木材不足の切迫を無視し、地位と威信をかけた争いが、石像を立てようという衝動を刺激し続けた。

イースター島を地球と読み替えてみると、産業革命前の1700年に6億人だった地球の人口は、今や80億人に達しています。この人口増のために木は切り倒されており、地球の酸素の20%を供給していると言われているアマゾンの森林破壊は勢いを増しています。
地球では、巨像ではなく都市に高層ビルが立ち並び、食べられもしないお金を増やす事に汲々としている。

自給自足カレッジでは、人間の生きていく上での基礎となる食べ物、エネルギー等を環境破壊を起こさない形で自給自足できる術が学べます。
農業を業として行う人というよりも、1/4クォーターファーマー(1日2時間だけ農作業をする)として、まず自分の食べ物を自給するところから初めることを勧めています。
持続可能な社会に向けて、自然農法の普及に努めていますので、応援よろしくお願いします。

次回無料講座=オープンカレッジは、再来週の3/19に行いますので、是非ご興味のある方はご参加ください。
申し込みは、下記のサイトから出来ますので、よろしくお願い致します。

https://self-sufficient-life.jp

そして、いよいよ4月からは本格的に1年を通じた講義(毎月第一週と第三週の週末2回)が始まり、遠隔地の方用には、オンライン講座もスタートします。老若男女問わずに参加者募集をしていますので、こちらも良かったらホームページからお申し込みくださるか、お電話等でお問い合わせください。

自給自足カレッジ
小柴正浩

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