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穴よりドリル

マーケティングでよく言われる、「顧客はドリルではなく、ドリルで空けた穴が欲しい」みたいなのあるじゃないですか。

これ、くそほど使い古された表現だと思うんですが、ちょっとネットで調べたら、今ですら自称マーケッターがこのことをしたり顔で(見えないが)、ブログやツイッターに書いてる。
で、大体「ベネフィットですね!」みたいなコメントがぶら下がっている。


でもさ、本当にそうか?

twitterで流れてきたこの投稿をみて、改めて考えてみた。

【バリュー】
実現↑↓利用
【機能】
実現↑↓利用
【物理】

みたいに物事をenableな関係で捉える考え方はシステムズエンジニアリングの定番だし、サイモン・シネックのゴールデンサークルもそうだ(あれは本来的にはプレゼンテーションだけど)。

だから、バリューとかいわゆるベネフィットが重要だというのはわかる。

で、上記のenable関係では、バリューを特定することで、機能や物理の自由度を高めている。


でも、entityにはentityの価値がある。
そうでないと、世の中に多数のドリルがあることは説明できない。

これは、ひとつは設計者側が持っている解空間によるところが大きい。
だからこそ私は、上位のバリューを拾うインサイトやニーズファーストの「発明」と、entityの引き出しを増やす素材・シーズファーストの「起業」を、両輪にした「発明起業家」を名乗っている。

ドリルのたとえでいうなら、顧客側の持つ「穴」の実現する手法の解空間が「ドリル」しかないからホームセンターにいくわけだが、ホームセンターの人に「ドリル」以外の解空間を求めるのは酷だろう。これは、その時点で顧客がホームセンターという解空間を選んでしまっているから。



もうひとつは、entityにはentityの価値がある。
日本人なら、たとえ質が全く同じ穴でも、「ドリルで大量に空けた穴」と「熟練の職人が手作業で開けた穴」に、「価値」の違いがあるのは、感覚的にわかると思う。

そのへんは、この前書いた前世や血統の価値に通ずるところ。


肉体というentityの価値があるということは、むしろこのコロナ禍の下で、顕著になったと感じる。

もちろん穴があけたいとしても価値は複合的だ。

ドリルにはドリルの、価値がある。

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