フォーカルジストニアの発症、そして克服。

2年前にFacebookで告白してからずいぶん相談を受けることが増えました。
この問題を抱える人は想像以上に多い。

僕は10年以上悩み、もがき、時に放置し、必死に研究し、そして克服に至りました。
少しでも力になることができればと思い、まずは以前にFacebookに投稿した文章に少し手を加えて記載します。

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フォーカルジストニア(手指に関する)のことを考えています。

いつの間にか、本当にいつの間にか、あれだけ(10年以上)悩んでいた、一時は演奏家生命をも疑わざるを得なかったジストニアとおぼしき症状が、ほぼ気にならなくなってきました。
「気にならなくなってきた」と表現したのは「治った」というのとは大きく異なります。
今ではほぼ「脱した」「克服した」と言ってもいい。
問題なく指が動いていたあの頃に「戻った」という感覚は全くありません。
僕は新しくなっている。
めちゃくちゃ辛かったけど、今はそれを乗り越え、パワーアップしている自覚があります。

本当にあれだけ悩んで、苦しくて、練習する度に発狂したり絶望したり、リハーサルがある度に泣きそうな想いになっていたのに、いつの間にか「あれ、そういえば…」という感覚が得られてきました。
ここ一、二年(2015~2017年)くらいか。
いつ頃からか明確にできないのが惜しいけれど、その感覚こそがこの問題の特徴をよく表している気もする。

あくまで私見ですが、結局はこれはクセであること。
クセとは記憶の蓄積であること。
一度深く記憶してしまった以上はなかなかそれを忘れることはできないこと。
たとえば母国語はきっと何年使わなくても忘れないし、忘れたい恋愛なんてのもそう(笑)
そもそも「忘れる」という行為を「意図的に」行うことに恐らく無理がある。
そしてその忘れたいことを消したいときには新たな情報、クセを蓄積する、上書き、アップデートさせていくことで段々と元々の記憶の割合が減っていく、隅っこに追いやられていく、という流れがいいのかなと。

心理学の勉強も少ししましたが、「無意識」に出てしまう運動(つまりクセ)というのは、絶対に「意識的に」蓄積させたものしか出てこないそうです。
「無意識ボックス」のようなものがあり、意識的に刷り込まれた動作はそこに蓄積されていく、そして溢れ出るものが結果的には「無意識」な動作、つまりはクセである、ということ。

では、問題の、どうやって乗り越えたか。
どうやってアップデートしたか。

何が直接的、具体的に作用したかはわからないけれど、アレキサンダーテクニークをきっかけとしたフィジカル&メンタル要素の勉強は大いに役立ちました。

それともう一つ。
それはソルフェージュ力(主に音程感覚)の向上。
それを鍛えるために、移調のトレーニングを時間があるときにやっています。
恐らくジャズマンがよくやっているようなアレです。

なんとなく僕の持つ情報では、クラシックフィールドのプレイヤーに比べると、ジャズ系プレイヤーはずいぶんそういった問題を抱える人は随分少ないという印象があります。
そしてジャズプレイヤーの方が、以前の僕の感覚からいうと、手指に関して「とても非効率な大きな動き」と感じることがありました。
そんなに大きく動いていいの?そんなにバタバタ動いてちゃ…

でもアドリブでは、仮にそれを譜面に起こしたらかなり練習しないと演奏できないような難しいフレーズであったりする。
予め準備や仕込みをしている部分ももちろんあるでしょうが、きっとアドリブでは、頭のなかに浮かんだ音が先にあって(それも記憶の蓄積であるのだろうけれど)、そのあとに指を含めた体が反射的にそこに着いてくるのだろうと推測します。

きっと昔は指が前提である取り組み方をしていたのだろう。
それも、より早く動かすために、無駄を少なく、ストロークを小さく、という意識がただただ指に働き、実は協調した方がいいはずの手首や、ひじ、肩などの可動域がない状態で指ばかりががんばろうとしていた。

移調のトレーニングは、頭でしっかりと次の音程を思い浮かべる。
今いる場所から次の場所への距離感をよく考える。
わからない時は理論的に「○度」と計算する。

考えてみればカラオケでキーを変えたときなど、歌だと比較的移調がスムーズにいくのに、楽器ではとたんにうまくいかないことが多い。
ということは、実は楽器を持ったときの音程感覚(絶対値ではない、幅の感覚)が欠けているのではないか?
次あの場所へ行きたい、これだけの距離を飛びたいと考える。
指や体は、とてもニュートラル且つフレキシブルな状態を心がけておけば、きっと反射的にしかるべきところへ、必要な労力、協調作用が自ずと働き、着いてきてくれる。
そういう考えが、頭や体に定着してからずいぶんと改善が見受けられるようになってきた気がする。

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※この後、言語に詳しい、通訳をお仕事にされている方から、私の書いた「母国語は何年たっても忘れない」ということに対し、「それは違う。例えば英語圏に長く生活する日本人同士の会話で、『日本語でなく英語で話してください』ということがよくある」とのご指摘をいただきました。
この例を考えると、これは忘れてるわけではなく、都合のいいツールや手段が、訓練によって塗り替えられる、上書きされるということなのだと思います。
脳科学的に見ても、記憶(特に長い時間かけて刷り込まれた記憶、癖)は案外そう簡単に忘れ去られることはなく、しかし新しい情報をそこに塗り重ねることはできるということがわかります。

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