ジストニアに陥った要因を考える

とにかく練習が好きだった10代、20代。
できないパッセージ、出ない音などをクリアしていく過程が、達成感があり充実感があった。
練習すればするほどできることが増えていくのはとにかく楽しくてしかたなかった。

しかしそれと同時に、なぜできなかったか、なぜできたのかを冷静に考えることは皆無だった。
本番で音を間違うことに対してもすごく嫌悪感を持つ時期もあった。
とにかく間違うことなく完璧に吹きたかった。

リズムが転べば決まってリズム変え練習。
それで事なきを得ていた。
しかし「なぜ転んでいたか」「なぜその練習で良くなったか」なんて考える事もなかった。間違えないで済むように何べんも繰り返し繰り返し、10回でも100回でもひたすら繰り返した。
またその熱狂し、良くも悪くも一心不乱の練習に快感を感じていた部分もある。

もちろん、ある程度の段階までは反復練習は非常に大切だと思う。
しかしその成功、失敗の理由を考えることなく、ただひたすらに体力勝負の練習を繰り返すうち、体に余計な負担をかけることをしていたのだろう。
そして故障。
つまりジストニア。
スポーツでも、事故の場合を除いて、ケガをするのは日頃の使い方、ケアからくる問題だろう。

いわゆる「指が回る」というのは大きく分けて二つの要素から成り立っていると思っている。

一つ目はソルフェージュ的な理解。
つまりその吹きたいパッケージがきちんと歌えるか。
音程、リズム、ニュアンス。
そのあたりの感覚を、体がきちんと理解しているどうか、実践できるかどうか。

二つ目に、そのソルフェージュ感覚を楽器を演奏するときにも同じように意識しながら、楽器を自在に操れているどうか。
ソルフェージュが理解できていても、実際の運指がついてこないことがある。
初歩的な段階で運指がまだ覚えられていない場合や、覚えていても並び方のパターンに慣れていなくて着いてこない場合、肉体的に嫌な動きの時など。
サックスでいえば例えばサイドキーなど少し扱いが難しいところ。

・ソルフェージュ的な理解ができていないか
・肉体的にうまくいっていないのか

そのどちらに問題があってつまずいているのかを把握しないと、練習に余計な時間を要したり、無駄な負荷をかけてしまったり、ということが生まれてくる。
無駄な負荷はケガ(ジストニア)につながる可能性がある。

また、演奏するという行為が、特に仕事として責任を持って取り組む場においてミスが許されない状況もあるが、かといってミスしたからといって死ぬわけでもあるまい。
人間だもの。ミスはある。

でも音楽においてのミスって、本人は言葉の上では死にたくなるような状況であっても、ある意味では所詮音楽。
命に別状ない。
人に危害を加えるわけでもない。
そう気づいてから、ミスはちょっとは恥ずかしいけど怖くはなくなった。

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