モリゼミオープンレクチャー:デンマーク編

モリゼミ

本日は朝の9:00から『世界の市役所をハックする』の取り組みのひとつ、モリゼミのオープンレクチャーでした。

今回、取り上げられた国はデンマーク。
どのように教育によって市民社会・民主主義を実現したのかがテーマです。

デンマークについては、大学時代のレポートで再生可能エネルギー導入の先進事例として取り上げました。王国の存立をかけて風力発電に着目し、国を挙げて研究開発から普及の仕組みづくりを行い、今や世界有数の再生可能エネルギー大国となっています。

このような国の背景にはどのような「教育」のポイントがあるのか、今まで聞いたこともあるキーワードがいくつかありましたが、断片的だったキーワードをつなげて考えることができました。以下、その要旨です。

デンマークの基礎データ

・国土は大きく分けると4つの島からなり、ドイツ・スウェーデンと隣接。
・「幸せの国」「福祉国家」「教育」「ヒュッゲ」「レゴ」「ロイヤルコペンハーゲン」など良く知ったキーワードもちらほら。
・人口は1国で約570万人。
・福祉国家であり、所得税・法人税が高いが制度が整ったイメージ。
・主力産業は、①風力発電(風力タービン産業は世界最大、国内生産の約 90%が輸出)、②医薬品産業(スウェーデンにまたがるメディコンバレー)、③農業(GDPの5%、日本は同1%、製造の約75%が輸出)

デンマークの歴史

デンマークは1800年代までは強い国であったが、ナポレオン戦争の影響で国土・人・資産などをすべて失いました。フランス革命から発した自由主義運動と王政がせめぎあい、デンマークも隣国であったことから巻き込まれてしまいます。結果、負けたデンマークは、国土からノルウェーを割譲され、国土、人、資産を失って国家破綻してしまいます。

この経験から、当時の国王は「戦争ですべてを失ったが、この上さらに馬鹿になる必要はない。」と教育による国の再興を目指していくことになります。

近代デンマーク教育の二人の師

そんなデンマークの近代教育を支えたのが、NFS・グルントヴィとその弟子のクリステン・コルの2人。グルントヴィはその教育理念を提唱した近代教育の父であり、クリステン・コルは、その理念を具現化させた最初の「フォルケホイスコーレ」を創設したことで、近代教育の「母」と呼ばれます。

それまでの教育を、当時グルントヴィは、「死の学校(School for death)」と言って批判しています。それは、生きた言葉ではないラテン語(古典)を用い、古い世代の考え方を規則的に教えることを中心としており、子どもの生活と学びが分離してしまうと指摘していました。

そこで、「死の学校」の対極にある「生の学校(School for death)」を提唱しています。主に以下の3点が重要な要素。

・人生を精一杯生きるための欲望や能力を深め、目覚めさせる学校
・様々な人と向かう状況の中で、仲間意識を醸成する場所
・デンマーク語という母語(生きた言葉)によって生徒の覚醒を助ける場所

フォルケホイスコーレとは

学校として具現化された「フォルケホイスコーレ(folkehejskole)(フォルケ:人々、ホイ:高い、コーレ:学校)」は、主に農民を対象とし、農閑期に寄宿しながら、歴史教育などデンマーク人としての教養を学ぶ場でした。

協同組合人として見過ごせないのが、当時ヨーロッパで広がりはじめた「協同組合」をシステム的に導入することに成功し、農業生産輸出国となれた点。農家がコミュニティを形成し協力関係を形成できたことが、農業はもちろん、現在の風力発電普及にもつながる、農村の電化にも寄与しています。

この点は非常に興味深く、日本の協同組合の父である賀川豊彦もフォルケホイスコーレに注目していたことを仕事柄聞いていました。こちらなどの記載から見ても内村鑑三や賀川豊彦が影響を受け、松前重義がその後の東海大学を設立していたことが分かります。しかし、デンマークではいまだにそれが教育の中心となっており、一方の日本ではそれが定着していないのはなぜなのか?これは深めてみたい課題です。

フォルケホイスコーレの4つの基本概念
1.死んだ文字より生きた言葉(対話を重視)
2.学内平等(学生は指導者から学び、指導者も学生から学ぶ)
3.地域とのつながりを重視(地域住民も学校運営に参画)
4.万人が指導者になれる(資格より経験重視)

自身の学生時代と比べてみて、上記のような中身が全くなかったとまでは言えないが、どうしてもカリキュラム重視でそれをいかに身に着けるかといった点が重視されていたことは否めないと思います。

デンマーク教育の特徴

1.ギャップイヤー(自分が進むべき道を考える猶予)
2.個性を大事にした教育
3.学び直し自由
4.競争が無い
5.柔軟なカリキュラム

上記のような特徴を備えながら、いかに「人」を育てることと、国の方向性自体が対立しない在り方を実現できているかが国民の幸福度・満足度にもつながっているように感じました。

日本でも実現できている点は一定あるが、国の方向性と個人のそれが合っていないのだろうか。その辺りの疑問をさらに突き詰めていきたい。


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