バスケットボールに選ばれた男
12月21日はバスケットボールの130回目の誕生日だ。
そんなめでたい日に僕とバスケットボールにまつわる1つのエピソードをここに残しておきたい。
登場人物は僕と秋田ノーザンハピネッツで活躍する長谷川暢選手。
彼にもこの話をしたことはない。
バスケットボール130回目の誕生は長谷川暢選手の25回目の誕生日でもある。
彼の中学時代からの親友でもあるアースフレンズ東京Zの久岡幸太郎が長谷川暢にある時、こう言ったそうだ。
「お前はバスケットボールに選ばれた男なんだよ」
人生とは誰かのサポート、言葉、そして出会いで道が開ける時がある。
僕もそんなバスケットボールの出会いに導かれた1人である。
2020年冬
僕はバスケットボールから離れようとしていた。
ここでの詳しい言及は避けるが、シンプルに言えば、発信を続けることが辛かった。
それは自分が選んだ道ではあるが、やはり色々あるものだ。
最近思うことがある。
僕らはコートで躍動する選手達に勇気をもらったり、憧れをいただく。しかしそれはあくまで光の部分であり、その光が当たれば必ず影ができる。そして、その影を僕達は知らないまま、光だけで選手達のイメージを作っていく。
それはファンとしては至極当たり前のことだ。
けれど、自分が今まで感じたことのない光を浴びた時、それに耐えうる力を全ての人間が持っているわけではない。
コートで躍動し、強く見える彼らも強いのではない。大切な何かのために、信じた未来のために、強くあろうと…もっと言えば、強がっているだけなのかもしれないと、最近思ったりする。
ある時、一通の連絡が来た。
「元気ですか?いつも応援ありがとうございます。今シーズン、いい感じで試合にもたくさん使ってもらっています。飛躍の年にしたいと思っているので、すごくわがままな話ですが、もっと活躍したら、ぜひダブドリで取材してくれたら嬉しいです!」
長谷川暢からだった。
当時、僕はダブドリの人間ではない。
けれど、僕も同じことを思っていた。
光を当てれば、きっと長谷川暢は次のステージに登っていく。
そこからの長谷川暢のストーリーは、皆さんが知っている通り、今、秋田というチームにとって、替えの効かない選手になっている。
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決して、僕が光を当てました。といいたいのではない。
なぜなら、僕も長谷川暢に救ってもらった1人だからだ。
僕自身も長谷川暢に光を当ててもらった。
当時の僕も、色々な活動をしながらも強がっていた1人だった。
もうこのままバスケの発信から離れよう…。
本気でそう考えていた。
長谷川暢から連絡が来たときも、編集長に話をしただけで、その後は特に考えていなかった。
けれど、長谷川暢本人も、「インタビュアーは宮本さんでお願いします!」と僕に伝えてくれ、実際にインタビュアーも僕を起用していただいた。
その時の気持ちは、嬉しかったと同時に…これが最後…。
本当にそういう気持ちだった。
けれど、そんな気持ちは取材に行って一変した。
練習を見学させていただき、真剣に練習に取り組む姿を見て…
その後、笑顔で僕らの方に駆け寄り
「秋田へようこそ!」
と言った彼の笑顔
そして、インタビュー中の様々なやりとりと本人の想いを聞いた時、
もっと長谷川暢を応援したい。
そう思ったと同時に、これからもっと上のステージへ駆け上っていく
長谷川暢を追いかけたい。
心からそう思った。
あんなに苦しかったバスケットボールの楽しさを思い出させてくれ、バスケットボールが好きだという気持ちを思い出させてくれたのは
バスケットボールに選ばれた長谷川暢という男だった。
あれから1年ほどの時間がたった。
色んなことがあり、それは光が当たったからこその影だったのかもしれないと僕は思う。
けれど、彼が僕を信じてくれたら、僕は彼を信じ続ける。
それは今までも、これからも変わることはない。
そして、彼のおかげで、様々な現場に出向き、同じようにバスケに向き合い、魅力的な選手達と知り合うことができた。
あの日を最後にしていたら、今日この道に繋がることはなかったことだけは間違いない。
長谷川暢の温かい光が、僕をバスケットボールへ導いてくれた。
それは本当に感謝してもしきれない。
そして、そんな僕と同じように、これからもきっとそんな長谷川暢のプレーが、誰かの人生の光になっていく。
僕はそう信じている。
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