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【感想】『水曜日のダウンタウン』モンスターラブ最終回

11月から始まった『水曜日のダウンタウン』のクロちゃん恋愛企画シリーズの最新作『モンスターラブ』

クロちゃんのことを好きだと番組に応募してきた女性9人から毎回1人ずつ落選させていき最終的に1人を選ぶ。
しかし、実はその中にダミーの女性が紛れており(というか2人しか本物はいなかったw)それを避けて本物をきちんと見抜けるか?という企画。
ちなみにダミーの女性側のモチベーションはクロちゃんに選ばれ続けて残ることでWACKからアイドルデビューできるというもの。
つまり恋愛企画と同時並行でアイドル企画が裏で走っていたという全体像。

前回時点で候補は3人まで絞られており、その3人は『都内某所』という名前のグループとしてデビューが決定。
いよいよクロちゃんが誰を1人選んで告白するのか?本物を見抜けるのか?が最終話の注目ポイントに。
で、この最終話が二重三重に“アイドル企画”になっていて面白かった。

そもそも「アイドルを観る」とはどのような行為なのか?
ライターの松本友也は哲学者・檜垣立哉の著書を引用しながら「賭博のようなものである」という仮説を提示している。

アイドルのすばらしいパフォーマンスに心を動かされているとき、そこにはパフォーマンスそのものに感じるよさだけでなく、「すばらしいパフォーマンスがなされた」という事実性(「そうでないかもしれなかったのに、そうなった」という事実性)から生まれる情動が含まれているのではないか。そしてこの情動は、前提として存在する「うまくいかないかもしれない」というネガティブな期待や緊張が裏切られることによって生じるのではないか。
書籍『アイドルについて葛藤しながら考えてみた』
香月孝史/上岡磨奈/中村香住・編著
青弓社 

引用元の檜垣立哉の著書も参照する。

だが、結局のところ競馬が賭博であるかぎり、そして、それが「現在」という時間性の謎を含むものである以上、そこには「予想を裏切られる何かが発生する」ということへの逆説的な期待がつねに含まれる。
書籍『賭博/偶然の哲学』
檜垣立哉・著
河出書房新社

これを踏まえると、モンスターラブ最終話は「アイドルオーディションを兼ねていた」という表層的な意味を超えて賭博性に満ちたアイドル企画だったと思う。

前半は視聴者の興味は「誰が本当にクロちゃんを好きだと応募してきた女性なのか?」に注がれていた。
そしてそこには歴代シリーズのモンスターハウスやモンスターアイドルでこっぴどくフラれてきたクロちゃんの姿をまた見て笑いたいという「どうせまた上手くいかないだろう」な悪い期待が込められていたと思う。

ところが、1人ずつデートしたところでミナが偽者だと見破られる。
残りはミクとリチの2人に(その内1人は偽者)

クロちゃんが告白の相手に選んだのはスタジオの予想に反してリチ。
ここで選ばれなかったミクの表情を映して「私はクロちゃんの事がホントに」で一旦カットする編集。
なるほどリチの返事で結果が分かるのか。
と思ったらクロちゃんの告白に入る前にミクの「好きではなかったです」が流れる。
ここでリチがクロちゃんを本当に好きなことが確定。

みちょぱ「えっ!?てことは?」

視聴者の声を完璧に代弁してくれるみちょぱw
ここで視聴者のミステリー的興味は完結し、それと同時に「遂にクロちゃんの告白が成功してしまうのではないか?」という(フラれる姿を見て笑いたい視聴者にとっては)ネガティブな緊張が生まれる。
リチが自ら応募したきたということはその緊張が裏切られる可能性はゼロ。
放送時間はまだ半分くらい残っているが、このままカップル成立のドキュメンタリーを見ることになるのか…?

ところが、ここでほぼアイドル企画に費やされた先週の第5話が伏線に化ける。
お笑い好きからは「別アイドル企画を見たいわけじゃない」とやや不評だったようだが、3人でのデビューが決まった時点で不穏だったわけである。
別にアイドル志望ではなくクロちゃんが好きだと応募してきた人もアイドルをやることを受け入れた。
そして(少なくとも画面上に見える限りでは)楽しそうにアイドル活動をしている。
デビュー曲の紹介など情報量が多かったことで誤魔化されたが、明らかに女性の心情に変化が発生している。
また、モンスターアイドルでカエデに告白するための“工作”を振り返ればクロちゃんはアイドルとは付き合わない信条の持ち主。
火種は密かに仕込まれていた。

アイドル活動も続けたいという迷いからクロちゃんの告白を即OKできないリチ。
ちゃんとダミーを回避して告白まで到達したのにまさかの展開。
事態を飲み込めずにスタッフにブチギレから完全に精神崩壊するクロちゃんwww

「俺、今まで指輪いっぱい買ったけどさ、これホントに高いの買ったの」www
「34万したの」www
「私が幸せにしてあげるってカフェで言ったじゃんか!」w

落語家がまくらを終えて本題に入る時のように真冬の外で上着を脱ぐクロちゃんw

「えっ…ど…どう…どうし、たらいいんだろう?」wwwww

この時点で流れは「3度目もまたフラれて錯乱状態のクロちゃんを笑う」に。
「告白が成功してしまうかもしれない」という緊張感は薄れて完全に緩和状態。
最早ヤケクソとしか思えない再告白という暴挙に出るも「どうせまた失敗するだろう」ムードだった。

ところが再告白でOKするリチ!!!
予想は綺麗に裏切られる。
なんて素晴らしい快楽体験。
ここで再び檜垣立哉の言葉を引用する。

競馬は間違いなく、「意外なこと」が成立するがゆえに、快楽を生じさせるものである。あらゆる経験的な正当さによってはとてもカヴァーできないような事態が突然現れ、われわれが賭け金を失うという否定し難い現実を突きつけてくることによって、このことは深く感じとられる。それが快楽を生むのは、こうした事態が、「生きている現在」の一側面を何らかの仕方で強く切りとって示してくるからにほかならない。
書籍『賭博/偶然の哲学』
檜垣立哉・著
河出書房新社

もちろん視聴者は金銭は失っていないが、放送翌日に「クロちゃん未満」がトレンド入りしたのが「否定し難い現実を突きつけてくる」に相当している証左だろうか。

ちなみにクロちゃんの性格・人格については藤井健太郎も「変な人だけどそこまで異常でもない」と述べている。

伊集院が、「水ダウ」でブレークしたクロちゃんについて、「とんでもない男ですよね」と話を振ると、藤井氏は「変な人ですけど…でもまあ、実はそんなに異常じゃないと思っていて」と言葉を濁しながらも「大きくは愛すべき(人間のポジション)に入っていると僕は思うんですけど」とフォローした。
https://www.sanspo.com/article/20191112-RVRKSGNU2VNBBEE4Y44TEHHBMA/

自分もクロちゃんがレギュラー出演しているMBSラジオ『アッパレやってまーす!月曜日』のリスナーだが、ラジオのトークにおいては求められてキモいキャラを演じることはあれど基本普通に話している。

欲望がいざ発露した瞬間に突っ走るタイプの人なのかな。

二転三転と予想の裏切りがめちゃくちゃ面白い極上のドキュメンタリーだった。
娯楽の真髄は観客の予想を裏切ること。
本来別々に走っていた恋愛企画とアイドル企画が絡み合って告白シーンの怒涛の展開を生む奇跡も見事。
「クロちゃんを観る」とは賭博のようなものである。

さて、藤井健太郎×クロちゃんの次回作はなんと地上波テレビを飛び出してDMM TVで2月配信予定。

楽しみ。

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