極私的日記論

今日から日記を書き始めた。(適当アレコレ日記)

日記という形態はなんとなくいいのではと  思ったからだ。

私は何かを書くというのに苦手意識がある。
が、書くこと自体は嫌いではない。
普段は仕事もかねて実名でTwitterもやっており気が向いたときに呟きたいことを呟く。(月1ぐらいのペースで^^;)また時には仕事関係のブログ書こうとしたりする。
が、Twitterで呟くにしてもブログを書くにしても、書いている途中でどこか煮詰まり、書くのが面倒になり途中でやめることが多い。
自分のやっていることを伝えようとする過程での言葉選びであったり、
文章として違和感があり、それはわかるがどう表現すればいいのだろうかと迷ったり、
そもそも何を書こうしたかわからなくなったりと、、
気がつくとTwitterで呟くだけでも2、3時間ざらに考えてたりする。
そして気がつくとグッタリしている(文章を書くということをしている人なら多かれ少なかれ経験したことがあるのではないか)。

では日記はどうか。。。
日記というものは、基本的には誰かにみせるものではなく、自分だけがみるものだ(という認識が私にはある)
なので同じ書くという行為でも、私にとっては誰かに伝えるを前提にしているTwitterやブログとは意味合いが違う。
どんな散漫な文章であろうが、どんな内容であろうが、私がどんな人格を有していてどんな不快な内容であろうが私は知ったこっちゃない!日記を覗いたおまえが悪い!笑

というのはまぁ半分冗談であるが、

以上の理由で書くという行為自体のハードルがずいぶん下がる。
また直感的に書くことの効用もあると思う。(いつか書けたら書く。
少なくとも書き直してるうちに、つまらないまとまりのある文章になっていくというのは防げる。)

noteで公開するのは、
極私的なものであるが同時に公共の場に置かれることで、緩みすぎるでもなく意気込むわけでもなく、いい塩梅で書けるのではという期待がある。
ノートに日記のようなものをずらずら書いていた時期もあったが、字は汚く、文章もはちゃめちゃ、考えも雑になっていき、自分世界に完全に閉じてしまい、後で読み返せない上に妄言に近い文章が大量生産されていた。

ここで書いたのは言ってしまえばただの予想である。さぁ、どうなっていくだろうか。

初めての適当アレコレ日記。
文章としてはで初めて、
誰にも読まれたくないと思った。。。


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