「障がい者かも?」思った瞬間「障がい者」

今思えば、、、

僕が通っていた小学校にもきっと、最近でいう「発達障害」の特徴をもつ子供って一定数いたのだと思う。
子供の、発達障害の割合6.5%と言われている。
(出典:文部科学省 通常の学級に在籍する発達障害の可能性のある特別な教育的支援を必要とする児童生徒に関する調査結果について 2012年)

40人くらいのクラスだったから、約3人くらいか?
クラスの中には支援学級に行って授業を受けていた子もいた。
ガキ大将の子は授業中も常に教室の中を動き回っていた。
こいつ、なんでこんなに本読み出来やんねんって子もいた。

僕が小学生だった約20年前くらい
発達障害って言葉は最近言われるようになってきた。
昔は「落ち着きがない子」とか、「勉強が出来ない子」とかくらいの認識だったケースも多いと思う。

まぁ大人も「〇〇君は障がい者だから」みたいな言い方しないから子どもの立場でも友達の「障がい」を意識することはなかった。

多分、普通に顔を合わして遊んだり、喧嘩していたと思う。

大人になってから仕事やプライベートで関わってきた人の中にもこちらが気づかない部分で「障がいを持つ方」って一定数いると思う。

精神疾患を薬でコントロールしている方とか、ズボンで隠れているけど実は義足の方とか。

で、ここで考えるのが、、、

「障がい者」にいつなるのか?
精神疾患診断が下った時?
足が切断された時?

多分違う。

「障がい者」になるタイミングは他人に「障がい者」と認識された時だと思う。

僕も経験がある、常々「変わった人だな」と思っていた部下がいて。
何かのタイミングで「俺実は発達障害の診断受けてるんだよね」と伝えられた。
別に自分の中では「別に気にしないよ〜」って感じだった。

でも、「発達障害」を伝えられてから、無意識のうちに彼に仕事でのミスがあっても指摘しにくくなっている自分がいたり、仕事を振りにくい自分がいたりした。

彼もそれを望んで「発達障害」を告白したのかもしれないけど(結構色々仕事の事で指摘してたから、、、)

でも自分の中で無意識のうちに彼を健常者→障がい者に認識を変えた瞬間んだと思う。

「障がい」を周囲の人に理解してもらうのは大事なことだけど

もっと大事なことは「障がい」の要素を含めてその人自身を理解できることだと思う。

どうしても「障がい」というワードを聞くと一括りに「障がい者」という認識を無意識にしてしまう。

その人自身を理解するには、もっと人を見る力が必要だと思う。
そうなるには僕にはまだまだ時間がかかる。

20年前の小学生の僕の方が、人を見る目がきっとあったように思う。
「障がい」なんて言葉を知らなかった子どもの時の方が、、、

なんか文章まとまらないな〜(泣)



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