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洋食屋とワイン

 おいら洋食屋が大好きだ。子供の頃から洋食が好きで、浅草の洋食屋は父に連れられて良く行った所が多い。良く通ったボンソワールやアリゾナキッチンは今はもう無くなってしまったが、リスボンはまだ残っているな。
 アリゾナキッチンで食事する時は全員にほんの一口、ほんと10ccぐらいポートワインが供された。なんと小学生だったおいらにも出されたので、いつもそれを店の奥に座っている品の良い常連のおじさんに持っていった。
 そのおじさんこそ益田喜頓だった。ま、今の方は益田喜頓もその名の基となったバスター・キートンも知らないだろうな。そのポートワインとはサントリーで今でもラインナップに残る赤玉ポートワイン(現在は赤玉スイートワイン)であった。
 大学生の頃にやっと、それを自分で呑んでみたが、甘いだけが印象に残った。だが赤玉ポートワインは100年以上の歴史を誇るからこの味に慣れ親しんで、これでなくてはダメという方もたくさんいるらしく、今だに残っている。おいらは日本の昔からのこの甘いワイン文化は、最近めきめきと実力を上げてきた本格国産辛口ワインの登場を四半世紀遅らせたと思っている。良い悪いは別だ。日本人の巧みさと誠実さは、スコッチウイスキーやビール、そしてワインを世界の最高峰と肩を並べ凌駕するに至っているのだ。
 話を浅草の洋食屋に戻す。浅草でうまい洋食と言えば現在は観音裏のグリルグランドとその奥の佐久良であろう。まあ好みだが、店主が横柄でお値段高めの吾妻やTVおなじみのシェフがいる大宮、昔からある下町の某洋食屋ヨシカミも美味しいと思うが、おいらはもっぱら観音裏に通う。で、そういう古くからの洋食屋はシェフがマジメで、ドミグラソースでもフォンドボーでも肉や魚の下処理でも何でも丁重に仕込んでおり、まったく手抜きがない。逆に手を抜こうにも身に付いた習慣で、丁寧な仕事が当たり前のようになされているのだ。
 こういった店はいつ行っても同じサーヴィスと同じ質の料理が保証されているので、裏切られることはまずない。その店のメニューバリエーションに飽きてしまわない限り、こういう店が安心確実である。そして洋食に自信があるからワインで儲けようとしない。だから、非常に真っ当な値段でワイン付きのうまい洋食が頂ける。
 新しい何かを求めるのであれば、こういう店では叶わないが、こういう店があっての新規開拓である。
 最近出来た洋食屋にも行ってみるけれど、斬新な料理や、斬新な盛りつけ、ネーミングのアイデアなどで感心することがある一方、やはり経験値の浅いシェフあるいは経営者だと感じさせるものが出てくることがある。
 そういった洋食屋は料理に限らず、店員のサーヴィスの質も気に入らないことがある。だが、もっとも気に食わないものがシェフの気まぐれ何ちゃらというメニューである。
 こちらが全面的にシェフを信頼した上でのシェフにお任せなら、こちらがシェフの腕や知識を信頼して任せるのだから問題ないが、気まぐれ何ちゃらはそうではない。見たことも話したこともないシェフの気まぐれで作った料理なんて食いたくない。だいたい気まぐれと言いつつどんな気質の人なのかもわからないし、食材だって余剰なものか賞味期限ギリギリのものかわかったものではない。
 シェフの気まぐれと言うキャッチフレーズに魅力を感じる方がいたら、一度深呼吸してどういう意味なのか考えてみると良い。すぐに自分にメリットがない事ぐらい想像がつくというものだ。
 こうした店はワインリストだって気まぐれだし、値段も悪い方に気まぐれだと思って間違いない。ソムリエの資格があてにならない事は前にも書いたが、そのソムリエもいなければ、いる気配さえ微塵もない店で、アルバイトのスタッフにおすすめワインを聞くようなことをしたら、それはただの自殺行為に他ならない。
 なぜなら店の在庫やそのセレクトもそうだが、保存方法や扱い方がなっていないと予想させるからである。幸い最近は輸入業者の努力によって安いハウスワイン、テーブルワインさえ呑んでいれば、マズいという事はほとんどないので安心して欲しい。
 へたに店の不良在庫の外れボトルをチョイスして失敗する事を考えたら、新しい彼女に見栄を張って良いとこ見せようとする時以外は一番需要の多いハウスワイン、それがない場合はリーズナブルなテーブルワインがむしろ失敗しないコツでもある。

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