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ワインとグラス

 最近ワインブームというのもあってかワイングラスは100円ショップの物から一客数千円、果てはもう怖くて触れないレベルまで多種多様に作られている。大まかに言って価格が高くなるに従ってグラスの厚みが薄くなり、かつ足が細くなる傾向があって、言い換えると高い物ほどうっかり壊しやすい。もっとも破損のほとんどは足が折れてしまう事故なので、そのために最近は足なしのグラスも多く作られている。
 ワイン界では赤ワイン用がやや大きめ、白ワイン用がやや小ぶり、シャンパングラスは細長いと相場が決まっている。が、難解なのが同じ赤でもボルドー用とブルゴーニュ用があったり、カベルネ・ソーヴィニヨン用とピノ・ノアール用とがあったりする。
 賢明な諸君はわかっているとは思うが前者は産地による分類で、後者は品種による分類である。だが、同じ産地、同じ品種でも様々な出来上がりとなるのが自然の摂理というものである。また、同じ畑でも年によって出来が違うわけで、突き詰めれば最適なワイングラスは呑んでみなければ作れないという事になってしまう。まあ、ワインの味わいの傾向として便宜的にそれぞれの産地用や品種用があると思った方がよく、別の産地、品種用のグラスで呑んだとて何も問題はない。
 完璧なワイングラスを作ることは難しいが、万能なというか最大公約数的なワイングラスは選ぶことが出来る。家庭用あるいは自分用にひとつだけ選ぶとなるとソムリエと呼ばれる人たちは大概白ワイン用の小ぶりなグラスを進めてくる。赤ワインの大ぶりなグラスはワインにある程度の力強さがないと簡素な味になってしまうなんてことを仰りますがな。
 ハッキリ言いましょう。そんなことはありまへんがな。大ぶりだろうが小ぶりだろうがワインによってそのグラスに注いでからの時間と呑み方を調整すれば美味しくいただける。特に筆者の場合大振りな奴の方がたくさん入るので重宝する。ただし、飲み口が牛乳瓶のように小さくすぼまっているタイプ。あれはダメですな。口をつけて傾けてもワインが入って来ない。呑むために上体を反らせて腰に手をあてると、風呂屋で牛乳を飲む時を思い出す。人間はメンタルな生き物であるからもしかすると連想的味覚で若干牛乳味が
してしまうのかもしれない。いや、あれはあれでちゃんと用途があるのだけどね。
 前回ソムリエでさえ得意分野があって全分野に詳しく経験があるわけではないという事を申し上げた。だから日本におけるワイン好きな人たちのワインについての知識レベルはより一層まちまちである。中には人からの受け売りとソムリエなどのマネをしてワイン通を気取っている方が少なくない。ワインを評する用語集なる物まであり、一口呑んではやれ干し草だのビロードのようだの歯が浮いて抜け落ちてしまいそうな言葉を羅列すれば良いと思っている。またそのまわりの人間もワインについて特に勉強しているわけではないのでその受け売りとマネの方を尊敬しているわけ。中にはまったく間違った認識や滑稽な表現もあり、そばで聞いていて吹き出しそうになったりこっちが恥ずかしくなってしまうようなご発言がよく見られる。まあこれが、ありがたがってボジョレーヌーボーの生産量のほとんどを消費してしまう日本という国のワイン事情である。
 話はそれるがボジョレーヌーボーも売り方見ていると滑稽で、十年に1度の当たり年とか、近年稀に見る出来映えだとか毎年広告代理店内で知恵を絞ってろくでもないキャッチコピーを作る。
 最近のボジョレーヌーボーは日本出荷のために大量に作らねばならず、しかも解禁日が決まっているためにステンレス樽でガンガン炭酸ガスを加えて醗酵を増進させる。だがら色が濃くて渋味の少ないフレッシュなワインが安定して出来る。でもそれは特別不味いわけでも特別旨位訳でもなく、ともかくは安定した味に仕上がるのだ。本来の目的であるガメイ種のその年の出来はさておき、毎年安定した品質のワインに毎年広告代理店の売らんがなのキャッチコピーがついて売れるのである。だからボジョレーの人たちはきっと日本を不思議な国だと思っている。
 閑話休題。断っておくが自分たちが満足なら別に赤の他人がとやかく言う問題ではない。従って先ほどのエセソムリエな人たちに文句を言うつもりもないが社会現象としてこんな滑稽なことが起こっているよという事を言っているのだ。
 もちろんまじめにワインに向き合っている方も多く見受けられる。家庭にワインセラーがあり、ワイン専用棚にはいろいろなワイングラスを揃え、ワインについても勉強し、例えば同じ産地でも畑によってこうも違うのかと自分で呑み比べて納得するという方もいる。
 だがそれほどでもないあなたは、適当なグラスで素敵な方とデイリーワインを楽しむのが一番。呑む相手さえ素敵ならワインもグラスも何でも適当で良いのである。

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