被災地への訪問

3・11からしばらくしたGW。
私と夫は被災した知人を訪ねて、岩手県山田郡下閉町(しもへいまち)へと向かった。
ボランティア登録するとどこに派遣されるかわからない。登録せず、非難している体育館へ直接行くことにしていた。
ヴェルファイアの後部には自分たちの食料や水は勿論、援助物資を詰め込んで。

体育館には奥さんだけが居て、ご主人は消防団員のため、万一の場合に備え消防団の詰所にいるという。
ご主人が戻るまでの間、奥さんが当時の光景を話しながら、自宅跡、息子さんの車の流れた場所などを案内してくれた。

大きなRV車のタイヤが、ねじ切られたように無くなっており、爆発的な津波の威力を見せつけている。
家は跡形もない。
堤防に立って海を眺めると、この海が…と思う程に静かな音で打ち寄せている。
美しい海だ。
が、振り返れば、そこには目を覆うばかりの瓦礫、瓦礫瓦礫。
震災前には、人々が平和に暮らしていただろうと思うと、振り返る勇気がなかなか出なかった。

流されて、家の基礎すら失われた土地には奇跡的に水仙の花が開いている。
私は、周囲の光景が写らないような角度で、シャッターを押した。

夫は、神戸の震災を体験している。
消防団数十人の食事、お弁当の世話をすることになった私が台所に立つ間、団員の皆さんに神戸の復興に関して次々と質問が発せられる。
それは毎晩、2時〜3時迄続いた。

着いて二日目。
避難所の皆さんが行うお花見の会に参加させて頂くことになった。
お酒を酌み交わし、カラオケを歌う姿。心の奥深くに仕舞い込んだ悲しみや苦しみは見て取れなかったが、年配の男性がある歌を歌いはじめた時、私は強い人だなと思いながら涙を堪えた。

川は流れて どこどこ行くの
ヒトは流れて どこどこいくの

喜納昌吉の曲、「花」だった。
この人達は、大丈夫。きっと立ち上がる。
いつの間にか、奥さんと抱き合って泣いていた。

結局私達は消防団詰所に四泊して家路につくことになった。
最初は何をしに来たんだというような顔をしていたおじさんが、そして団員のみんなが口々に「たちなおりますよ!」「また来てください!」とそれぞれに笑いながら仕事に出かけるのを見送って、およそ1200キロの家路に着いた。

二年後、仮設住宅へと尋ねることになるのだが、それはまた後日にしよう。

最後に、花の歌詞をアップしておきたいと思う。

1.
川は流れて どこどこ行くの
人も流れて どこどこ行くの
そんな流れが つくころには
花として 花として 咲かせてあげたい
泣きなさい 笑いなさい
いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ
泣きなさい 笑いなさい
いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ

2.
涙流れて どこどこ行くの
愛も流れて どこどこ行くの
そんな流れを このうちに
花として 花として 迎えてあげたい
泣きなさい 笑いなさい
いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ
泣きなさい 笑いなさい
いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ

3.
花は花として 笑いもできる
人は人として 涙も流す
それが自然の うたなのさ
心の中に 心の中に 花を咲かそうよ
泣きなさい 笑いなさい
いついつまでも いついつまでも 花をつかもうよ
泣きなさい 笑いなさい
いついつまでも いついつまでも 花をつかもうよ

泣きなさい 笑いなさい
いついつまでも いついつまでも 花をつかもうよ

#東日本大震災  
#3・11


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