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お金を「稼ぐ能力」と「使う能力」

自分なりの考えを持つ、ということは大切です。今回は、いつの間にか私の人生観の一部をなしている、生き方にもつながる話、お金を「稼ぐ能力」と「使う能力」という切り口で書いてみたいと思います。

普通、私たちはお金と言えば「それを稼ぐ能力」ばかりに関心が向いてしまいます。しかし、本当のところは、「それを使う能力」が稼ぐ能力以上に必要とされているのです。

もう少し言うなら、お金を稼ぐ能力にカルチャーは特に必要とされてはいませんが、お金を使う能力にはカルチャーが必要とされている、ということです(ここで言うカルチャーは教養というような意味で使っています)。
もちろんカルチャーを伴う稼ぎ方もないわけではありません。

たとえば衣服を買う場合を例にとってみましょう。
どういうものを買うのかには、その人の人生観やセンスが現れるものです。たとえばブランド物を買う場合を考えてみます。同じブランド物を買うにしても、ただ有名なブランドだから買うのか、そのブランドが持つ良さを本当に理解したうえで買うのかには差があると思います。

そもそも、ブランドなどにはまったく関係なく、自身のセンスで上手に着こなしている人もいます。あまりお金は使ってはいないけど、センスで着こなすことができるのは、お金の使い方を知っていると言えると思います。ブランド物だからという理由だけで高くても買うというのならば、お金の使い方にカルチャーがあるとはとても言えないわけです。

たくさん「お金を稼ぐ」という意味では、「高給取りになる」「商売で荒稼ぎする」なども考えられますが、現実にはカルチャー、言い換えれば本当の意味での教養のあるなしが、こうした稼ぎの多寡に直結することはあまりないように思います(学歴にはそれなりに関係しているかもしれませんが)。つまり、必ずしも教養のある人ほどたくさん稼いでいるわけではない、ということです。

しかし、「お金を使う」という段になると、その人の人間性や教養がもろに出てきます。いくらお金をたくさん稼いでいても、キンキラの金目のものばかりをたくさん買い込んでみたりするなど、いかにも、というようなお金の使い方をしている人もいるものです。お金の使い方を知らない人のことを、最近はあまり使いませんが、昔は“成金”とよく言ったものです。

つまり、お金というものに関して言えば、「稼ぐ能力」も大切ですが、本当は「使う能力」も鍛えておかないと、自分に納得のいく人生を送ることはできない、ということです。そういう意味では、お金を使う能力のほうが人間にとってはより難度の高い能力なのだ、と若いころから考えていました。それは今も変わりません。

こういう考え方は私自身、何かで読んだとか、誰かから聞いたからというわけではなく、若いころからなんとなく、自分の周りにいる人を見ることで自分の考えとして持つようになりました。そして、それが特にお金を持っている人に対する(無意識のうちの)評価につながってきたようにも思えるのです。

お金の使い方にはカルチャーが必要だと私は思っています。お金の使い方は昔からその質が問われてきているように思います。お金の使い方の質が、文化というものを育てることにもつながってきていると言えるのではないでしょうか。

お金を「稼ぐ能力」と「使う能力」のバランスというのは幸せな人生を送るために必要なことである。私は昔からそう思って生きてきました。今ではこうした考え方も私の人生観の一部になっているように思います。

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