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ゲーム開発職歴 プロローグ編

ゲームプログラマーになるのが夢で、モバゲー版「今日から俺は!」「鬼武者」。西健一氏「まかいピクニック」などのサーバー側メインプログラマなどを務めた自分が、そこにたどり着くまでの軌跡を書き残します。

■プロローグ
自分は小学生のころMSX2 HB-F1XDというPCを買ってもらい、プログラミングをするようになりました。中学生の頃、自分で開発した大作ゲームを同級生に売って、小遣い稼ぎするようになりました。
1作目、いわゆる弟切草のようなサウンドノベル(当時はサウンドノベルの概念すらなし、BGMや効果音はSOUNDコマンドでの環境音が主体でした。弟切草が出たのはこれから4年後くらいでしたが、コンセプトや画面構成が全く同じでびっくりしました)
2作目、プリレンダリング風のRPG。この頃はZ80機械語バリバリに脳内ニーモニック変換で出来るくらいスキル上がり、FM音源(2オペ)で自作曲を10曲以上入れてました。プリレンダリング背景の世界を自由に動けるRPGという概念のRPGゲームはこれ出してから10年後くらいのFF7まで世の中には無かった。現在で言うスプライトみたいな方法を使い、ほぼ読込ストレスゼロでフィールド画面と戦闘画面やBGMなどの切り替えを行っていた今考えても当時のマシンの限界超えた技術のゲームを中学生のくせに開発していた。

もともとゲームに興味を持つのも小学生時代に出た初代ファミコンとスーパーマリオに驚いたことや、ゲームが得意でクソゲーすらすぐクリアしてしまうことから、周りからはゲーム名人というあだ名つけられていたくらいでした。個人的に大好きなゲームベスト3はウルティマ恐怖のエクソダス、ミネルバトンサーガ、シェラザードです。誰も理解してくれないけど。

■高校卒業してゲーム界隈の道へ

当時の夢はゲームクリエイターになることだったので、コンピュータ系の大学進学して、そこから進む予定が、まさかの滑り落ちまで落ちる挫折。浪人するもやる気ないところに、近所のゲームショップが求人をしておりすぐに応募し就職しました。時代は就職氷河期でしたが、クソゲーまで詳しい知識が評価されました。 ゲームづくりではなく、ゲーム販売の道へ。豊富な知識と発想力で販売でも即大きな貢献をし5年ほど店長として活躍しました。

■インターネットとの出会い

ゲームショップで店長をやってる頃、Windows95の発売、テレホーダイ全盛期と、ハマる理由はありました。この時期perlとJavaを覚えました。ゲームはJava Appletでオンラインの特性を生かした、マルチプレイ型スペース系シューティングゲームを開発しましたが未完です。この作品はぜひ作り直したいです。

■上京、そして本業プログラマへ

このころ時代はビットバレー全盛期でした。まだヤフオクも無かった時代なので、perlで作った自作ショッピングサイトで、不用品とかを販売するサイトを作ったら、数ヶ月で上京するくらいのお金がすぐにたまりました。そのお金で就職先も決まってないのに上京し就職活動をしました。なお、その頃はiモード出たての頃でWAP技術に興味を持ち、そちらのプログラミングコンテストでソネット社長賞を貰うくらいまで成長してました。

■就職、そして

ゲームプログラマになる夢を掴むのは、まだまだこれからかなり先のことでした。続きはのちほど


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