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ストーリーテラーを絶対に信用するな?|2024,Week24.

ここに一冊の本がある。詩人・寺山修司が書いた『さかさま英雄伝』という本で、コロンブスやらプラトンやら聖徳太子ら「偉人」のエピソードをまとめています。伝記集といったら伝わるだろうか。小さい頃、こういう偉人伝ってよく読みましたよね。その寺山修司版って感じです。

ただ、この本はほかの偉人伝とちょっと違う。いかにも輝かしい逸話をまとめた胸踊る伝記もの…ではなく、ちょっと人には言いにくい恥ずかしさや隠したくなる要素を抜き出し、寺山独自の視点から偉人たちを再検討するという、ちょっと変わった試みという部分にあります。初めて聞くようなことや本当?と疑いたくなるようなことが結構紹介されている。さすがにこれは…というのも多く、読んでいるだけで飽きないし、それなりに暇をつぶせる内容になっています。


ひとつ例をあげるとすれば、イソップの章がおもしろい。古代ギリシアの奴隷だったイソップ(アイソーポス)は、類まれなる想像力を働かせ『イソップ寓話集』を伝えた。その中の1つに「庭師と犬」という題がある。

一二〇
飼犬が井戸にはまったので、庭師は引き上げてやろうと、後を追って降りて行った。犬は立往生していたが、主人が近づいて来ると、水に沈められるのだと思って、咬みついた。庭師はひどい目に遭って言うには、「やれやれ、こんな目に遭うのも致し方ない。お前が頭から落ちる時に、どうして危険から救ってやろうとしなかったのだろう」
恩を仇で返す恩知らずに向けて。

『イソップ寓話集』岩波文庫

一般的には、飼犬が落ちる時に助けなかったことの責任を感じる庭師の心の広さ…を奨励しているように読まれていると思う。確かに庭師は「どうして危険から救ってやろうとしなかったのだろう」と反省している素振りを見せている。

しかし、ここで引っかかるのは教訓の箇所。「恩を仇で返す恩知らずに向けて」。助けようとした自分の振る舞いを「恩」といい、それに対して咬みついた飼犬を「恩知らず」という。これに対する違和感を、寺山はこのように表現する。

死にかけた犬の誤解も解かずに、「ああ莫迦を見た」というイソップ。抵抗も救済も、じぶんの得にならなければしない知恵者のモラルは、きわめて現代的である。

寺山修司『さかさま偉人伝』P.51

庭師の行動だけを見れば、飼犬を助けようと井戸に潜るし、咬まれたからといって暴力を振るうでもなく自分が悪かったと認めている。しかし、これら庭師の行動が「利己主義」や「諦観」が根底にあるのは明白だ。でなければ、これらのエピソードから「恩を仇で返す恩知らずに向けて」なんて教訓は導き出されるはずはないだろうから。もちろん、全てがハッピーエンドな、よく言えば世間にありふれた「陳腐な正論に基づいた教訓」にする必要はないけれど。なぜイソップは、落ちた飼犬の心情を思いやったり、井戸にはまるような事態を引き起こした原因について考えを働かせたりしないのだろうか?


とまあ、全編こんな調子というわけではないけれど、寺山修司の手によって偉人たちのイメージが覆されるのは読んでいてすごく面白い。これは当たり前のことなんだけれど、偉人だからといって立派な面ばかりというのでもないし、ひどく人間的な愛おしい部分だって大いにある。イソップにしても、自身が奴隷という状況で語る寓話は、為政者に向けたもの。そんな状況で、心温まるありふれた(それでいて存在しない)話を言ったとて何になるのだろう? 寺山はイソップの本質を「「主人持ちのユーモア」であり「奴隷の教訓」であり、べつのことばで言えば奴隷仲間への裏切りにつながるものであったことは否めないだろう(P.47)」というが、それを言わざるを得ない状況にあったことも考慮すべきじゃないかと思います。


この他にも、『若きウェルテルの悩み』を著したゲーテの章ではシャルロッテへの独占欲に恋い焦がれるウェルテルに対し「あらゆる人が、あらゆる人を愛することのできる自由をさまたげようとするもので、第一、ロッテの気持ちをまったく無視した、自己中心の愛である、という印象をうける。(P.92)」とか、紫式部の『源氏物語』に対しても「なにか欠けているものを感じる。それは、たぶん、彼女が「人と人との葛藤」にばかり興味を持ちすぎて、「人と事物との葛藤」「人と歴史または運命との葛藤」といったことに、まるで無頓着だ、ということになるかも知れない。(P.206)」と言ってのける。世間的な評価を逆手に取って独自の解釈を導き出す寺山修司。そしてそれは、自身の経験に基づいた正直さであるからこそ、内容が上滑りせずに、僕らのもとに届くのだろうと思う。


ただしこの本は、偉人を貶めるためのものではない。むしろ、偉人をさらに偉人たらしめるかのようでもある。なぜならこんなエピソードを踏まえたとしても、やっぱり彼らも人間だったんだなと思えてしまうからだ。人間性と業績は相容れないものなかもしれない。その意味で『逆さま英雄伝』は逆説の書であるし、非常に人間的な一冊でもあると思う。

人は欠点や足りない部分によって愛される…というのは、よくある自己啓発本のタイトルみたいだけれど。すごく面白い本ですのでぜひに。


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