母に嘘をつく娘
東京で見つけた「長崎県産・芝エビ」。
その昔は、海老と言えば芝エビ!で、魚屋さんの店頭にどっさりな安値をよく見かけたものでしたが、最近はめっきり見かけなくなっていた芝エビ。
故郷から離れた東京で見つけ、嬉々とする♪
(今日は塩茹でにしよう。
明日は殻のまんま唐揚げにしよう。)
想像するだけでヨダレが出てくる…♪
直ぐに食べない分は剥き身にして冷凍しておこう♪と、多めに入手してきました。
実家の父へ電話して
「お母さん、おる~?」と電話口へ呼び出します。
「ママ~♪雅恵でーす。ちょっと教えて欲しいことのあるとけど」
「なぁに?」
「東京でね、長崎産芝エビの売っとたとよ。」
「あらぁ!芝エビ!珍しかね!」
「そいでね、いっぱい買ってきたと。今夜は、塩茹でにしようかなって。お母さんよく塩茹でやら唐揚げやらに料ってくれよったたい?」
「うん。芝エビ美味しかもんねぇ♪まーちゃんも大好きやったでしょう。」
「うん!大好き!
でね、お母さんに聞きたかことのあって電話したと。」
「何やろか?」
「塩茹でするときってさ、お水からじゃなかよね?お湯ば沸かしてから茹でるよね?」
「そうそう。
エビの塩茹では、グラグラに沸かしたところに入れんばよ。水から茹でるのは魚のアラばおつゆにするときよ。エビばお水から茹でたらダメよ。エビの味やら旨味の逃げてしまうけんね。」
「やっぱりそうよね!
お湯で、茹でる。
うん!分かった!ありがとう!
でさ、お塩ってどのくらい入れれば良かと?」
「どのくらい?って…そうねぇ…
小鍋やったら大さじ一杯くらいかなぁ?入れてみて、舐めてみたらどうやろか?足りんやったら足せばいい。塩が利かんと美味しくなかもんね」
「そうやろ?塩梅の難しかろ?」
「塩梅はねぇ。難しいねぇ。お母さんいつも、適当にやりよったからねぇ。よし!じゃあ、まーちゃんも自分なりにやってみようー!エイエイオー!」
「アハハ!
そげん応援されたら、ガンバります!
はい!じゃあ張り切ってやらんばいかんね。今からやってみます!応援宜しくお願いします!芝エビたくさん買ってきたけん、明日はね、唐揚げばするよ。」
「唐揚げ!良いわねぇ♪唐揚げは美味しいねぇ。お父さんも唐揚げ大好き!」
「お母さん、揚げ物上手やけんさ~、私もガンバるよ!」
「うんうん。唐揚げも、やってみたら?
火傷せんように気を付けてね。」
「ありがとう。また報告しまーす!」
そんなやり取りを終えて電話を切り、芝エビの塩茹でを食卓に並べ、ビールを飲みながら、夫にも一連の報告。
翌日、また、実家へ電話。
「ママー!雅恵です。昨日、電話で話したこと、覚えとる?」
「あら、まーちゃんね。エビの塩茹ででしょう?覚えとるよ。上手に出来た?」
「うん。お母さんのおかげで美味しく出来たよ!ありがとう♪
ちゃんとグラグラに沸かしたお湯の中に入れて茹でたばい。塩も利かせてね!」
「それは良かった。美味しい食卓でしたねぇ。」
「うん。おかげでビールのいつも以上に進んだよ!ありがとう!」
「アハハ!そりゃ飲み過ぎてしまうねぇ」
「そうさ!美味しすぎて飲み過ぎる!
でね、まだまだ飲みの足りんけん、今日は唐揚げにして、ビールばいっぱい飲もうと思いまーす!
美味しい芝エビの唐揚げの作り方ば教えて~ママ!」
「あらあら!それじゃあね…油はね… 」
と、
こんな感じで、娘なりの努力。
我が母は、10年ほど前から、アルツハイマー型認知症。
短期記憶がなくなる特徴の病気ですが、こんな風に、昨日話したことを、ちゃんと覚えていたりするんです。
父と兄に、母の状態を訊ねると
「あんまり変わらんばい。ひどかときはひどかし、良かときは良かし。」と言う。
ひどいときの母は、易怒性が高く、鬼の形相で悪態をつきます。
死にたくなるようなおぞましい記憶ばかりが母を支配している様子で、終始ブツブツと愚痴を吐き、鬼になっている時の母は、近づく者、皆、敵だ。
母には、自分が何度も同じ話をしている自覚が、ちゃんと、ある。
でも、脳の暴走は、母の理性を越えてしまうのた。
だから、せめて母にとっての得意なことで、嬉しい!楽しい!な喜び体験を増やして、一瞬でも幸せな気分に浸って欲しいし、そんな印象的な記憶が残せれば、悲劇的な記憶の割合が減るんじゃないかなぁ、って思うんです。
事実、こんな、短期記憶がある。
私が娘として出来ることは、母へたくさん話をして、たくさん頼って、たくさん甘えること。
生き甲斐を失くしてしまっている母に、母としての仕事を与える事だと思っています。
以前の私は「親に心配かけないように」と、振る舞ってきたんだけれども、近頃は真逆です。
困ったことを話したり、悩み事を相談したりするようにしました。
きっと、親にとって子どもは、ずっと、子どものままだから、母に元気でいてもらう為に自分ができることは、「この娘のためにも、まだまだ自分がしっかりしていなきゃ!」と思ってもらうことだと思ってね。
もしかしたら母は、こんな私の胸の内や、企てにも気が付いているかも知れないのですが。
まぁ、別に、それでもいいや。と思っています。
話す機会が増えるんだもの。
母の顔が一時でも鬼婆じゃなくなるんだもの。
私の知る優しい笑顔に変わるのならば、それでいいじゃないか。
電話向こうの娘と話しながら、コロコロと笑う可愛い姿を、父が目にするのなら、いいじゃないか。
優しい母が、優しい世界の中で生きていて欲しいと、切に願う。
普段は「ママ」なんて呼ばないのだけれども、これも演出のひとつです。
エビの調理法なんて、わざわざ母へ訊ねなくても自分でできることなんだけれど、
こんな時こそ使うのが
【嘘も方便】だと思うんです。
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