日々の変わり映えのなさに対する静かな絶望

毎日肉体労働。独身生活。実家暮らし。ダラダラと過ごすネット視聴生活。自分が凡庸ではないと自己暗示をしていたのは20年も前のこと。

気がつけば僕は何者でもない。というよりもただただ空気か、もしくは石ころか、もしくは汚らしくて、やや失敗気味の、若者からはああはなりたくないと心ひそかに思われてるであろう中年になる。

絶望という言葉とは少し違う。地味で軽いしかしじわじわとくる。終わることのない失望。そういう病にかかってる。

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