最近の記事

男と女

女の人と話をしてると、自分に対する好意に敏感である。むしろ敏感すぎる。こちらとしては他意のない言葉に対して口説かれてると深読みをする人が多い。 フェミニストがヒステリックなのもそういう女の人のやたらと自分に対する好意に感度が高いところが原因なのではないかと思う。

    • ねお徒然なるまま日記

      どうしても日々の色々な雑念があって、執筆の仕事ができない。まあお金になってないから仕事とは言えないかもだけど。 とりあえずしばしば思うのは、何事も入ってしまうと大変だということ。関係性を断ち切るのは容易ではない。それは物理的というよりは精神的な問題として。 それは結婚でも、教会でも。だけど実際に関係性を結ばない限りはそれがどのような意味が自分にあるかわからないのも事実であり。 だからそれが夏目漱石が苦しんだ。近代的社会の自我と社会との関係性における葛藤なのか?わからんけど

      • 教会に行くのがすごくだるい。だいたいcsとかでなんで俺のせいにされなくちゃいけないんだと思うことがあった。無償で働いてるのに。だから僕は今日は礼拝をサボった。

        • 転職したい

          なぜか、僕はすぐに仕事に飽きてしま。どうもそれが大きな原因だ。しかし転職した先が理想通りである可能性はほとんどないだろう。それは体験が教えてくれる。 他の人と話をしてると、急に話を途切らせたくなる。大体がその人とはそんなに仲の良いわけではない、かといって仲が悪いわけでもない。要するに自分が会話に退屈さを感じると相手もそうなのではと勝手に想像して、いたたまれなさを感じるからだ。 僕の座持ちの悪さと同時に相手も座持ちが悪いからなのか?

        男と女

        • ねお徒然なるまま日記

        • 教会に行くのがすごくだるい。だいたいcsとかでなんで俺のせいにされなくちゃいけないんだと思うことがあった。無償で働いてるのに。だから僕は今日は礼拝をサボった。

        • 転職したい

          1Q84第一部読了

          へーこんな展開だったんだと思い出す。村上春樹の小説は『というか』という言葉を多用してるイメージだったけれど、あれは騎士団長殺しとかだったんだ。1Q84にはそんなに出てこない。 青豆の章に出てくるさきがけの女性に対する性的な搾取とか、村上春樹の作品は重いようでフワッと柔らかく書いてるからそれほど苦痛にではなく読める。これが島本理生の作品になると生々しくて痛々しくてとても平常心では読んでいられない。 とはいえ村上春樹が書く女性に対する性的搾取への抗議はイマイチ本気で村上春樹がそう

          1Q84第一部読了

          1Q84再読

          村上春樹の本を読んでみると一見陳腐な物語のように思える。特別に美文を書いてるわけでもないし、心理描写に鋭い観察力のようなものを感じることも少ない。むしろベストセラーの作家にしては少々下手なのではないかとすら思えるくらいだ。しかし1Q84を読み進めるにつれ何か自分の心をゆっくりと掴んでくる感じがする。まるで遠巻きに縄を狭めて追い詰められていくかのように。そこら辺にハルキストたちが熱狂する村上春樹の力があるのかもしれない。

          うまい仕事

          うまい仕事はないと思う。それは転職回数10回を超える私には実感としてある。給料が安くて楽。休日が多いか、もしくは残業があり、きつくて、でも給料はそこそこもらえる。の二択だと思う。転職活動をする時には自分が何に対してどれくらい重きを置いてるかを決めておくこと。じゃないと就職した後に必ず後悔する。

          うまい仕事

          1Q84を読み返してる

          村上春樹は思ったよりも内容があるような内容な。しかし一つ言えるのはとにかくやたらと読みやすい。 しかしここにある世界観の青豆の男性嫌悪を読むと、村上春樹のフェミニストに媚を売ったような薄いリベラルな感じが滲み出てる。 村上春樹の世界はなんというか、自分の世界にこもる感じがするんだよな。そして今の激動の世界に移り変わろうとしてる歴史の転換点である現代において、村上春樹的なる文学、自分の世界に閉じこもることで自分のトラウマ的なものを克服していくというか、物語化することで救われよう

          1Q84を読み返してる

          日々の変わり映えのなさに対する静かな絶望

          毎日肉体労働。独身生活。実家暮らし。ダラダラと過ごすネット視聴生活。自分が凡庸ではないと自己暗示をしていたのは20年も前のこと。 気がつけば僕は何者でもない。というよりもただただ空気か、もしくは石ころか、もしくは汚らしくて、やや失敗気味の、若者からはああはなりたくないと心ひそかに思われてるであろう中年になる。 絶望という言葉とは少し違う。地味で軽いしかしじわじわとくる。終わることのない失望。そういう病にかかってる。

          日々の変わり映えのなさに対する静かな絶望

          転職について

          今の仕事が漠然と嫌である。地盤調査の仕事をしてるけれど、正直うんざりだ。今の季節はまだいい。けれどこれが夏になったり、梅雨の季節になったりしたら最悪の泥仕事をこなさなくてはならない。そして僕の体は既に悲鳴をあげてる。膝が痛いし。肉体労働は40歳の僕には辛すぎる。 それで求人情報を目をさらにして見ていてもロクな求人がない。大体。給料が安い。どうせ仕事もきつい。 色々頭によぎる。警備員。運送。色々。どれも給料が安いか、肉体的にきつい。前に運送の仕事をした時には腰を痛めて、その痛み

          転職について

          思い出ということ

          思い出が創作にはためになると山田玲司がいうし。事実そうなのだろう 日記を書いておけばよかったなと後悔したりする。 ところで思い出についてだが、自分の最低の思い出は何かと考える。こんな思い出がある。 高校の時には好きな先輩がいて、今はもういい歳だろうけれど。その時はなんだか高校生としての若さと、元気さと共に妙に色気のある先輩だったのだ。気が強くて、世話好きで、ある種の支配的な性格で。あの人が僕の女性に対する憧れの原型、理想の原型として確実に残ってる。 告白しようとして待ち伏せし

          思い出ということ

          神話を知るということと創作について

          どうやら作家になろうとか、物語を作ろうとするのなら、神話を学べということらしい。 自分の好きな本を読んでいて、もしくは物語を見ていくとそのレベルが高くなるということは神話になるということなのだと気がつく。たとえばエヴァンゲリオンとか進撃の巨人、鬼滅の刃、近年日本さらに世界を席巻したコンテンツはアニメとはいえ神話である。 優れたものは全て神話か聖書か仏教かそれらからきてるような気がする

          神話を知るということと創作について

          書くものがないということ 

          小説家になりたいと思い。小説を書いてる。それは小説のようなものであって、クオリティの低さには突っ込まないでほしい。僕は子供の頃から読書が好きだから、自分の書くもののレベルの低さはよくわかる。なにぶん、本の良し悪しの審美眼はあるのだよ。 山田玲司のすごいところは無茶苦茶漫画を描いていたということ。素人時代の話だ。なにしろ100作品書いてからプロになった。100作書けばなんとかなると静かに話す山田玲司。よくそれだけ書く内容があったな。

          書くものがないということ 

          山田玲司。テンプレートと自分を組み合わせろ。そこに化学反応が起こる。作品の作り方。

          山田玲司。テンプレートと自分を組み合わせろ。そこに化学反応が起こる。作品の作り方。

          山田玲司の沼

          山田玲司をずーとYouTubeで見てしまう。やばいわ。コロナ隔離も今日で終わり明日から仕事。生産性なきYouTubeの干渉でこの休息期間を終わらすのだ。しかし山田玲司は面白い。それは間違いない。 今日見ていてハッとさせる山田玲司の言葉100冊漫画を書けば漫画家になれる。そして潰しが効く。うーんなるほど。 漫画家になりたいわけではないけれど、でも山田玲司って本当に格好いい。こんな大人になりたいな。話がうまくて、キラキラしていて。漫画ももちろんかける。事実に裏打ちされた今更の理想

          山田玲司の沼

          ワンパンマンの作者のようにノートとか安全なところでコツコツと小説を書いては投稿していこうと思う。それにしても仕事を変えたい。やってても楽しくもなんともないのよね。

          ワンパンマンの作者のようにノートとか安全なところでコツコツと小説を書いては投稿していこうと思う。それにしても仕事を変えたい。やってても楽しくもなんともないのよね。