マスク着用によって憂慮される表情への影響
最近、ニュースで「新型コロナウイルス対策のマスク着用について、3月13日から屋内外を問わず個人の判断に委ねる方針を決めた。」と、政府の発表を知った。
2023年現在、未だに、コロナウイルスの感染拡大についての注意喚起は至る所で目に付く。
外出時はマスクを着用する新しい生活様式が、すっかり浸透していると感じる。
この状況下で、ひとつ問題が浮かんだ。
それは、誰もがマスクを着用する事によって、人の表情が分かりにくくなり、コミュニケーションに影響を及ぼすのではないかという問題だ。
エクマン(1973)の研究による、世界中の文化圏で共通して見られる基本的感情も変化してくるのではと推測する。
この基本的感情とは、「怒り」「嫌悪」「恐れ」「喜び」「悲しみ」「驚き」を指す。
しかし、コロナ禍における現在も、外出するほぼ全員がマスクをしていて、目元しか分からないため、表情による基本的感情は探りにくいだろう。
Duchenne(1862)は、「Duchenne Smile」という表情を人工的に作った。ただし、電極を当てて生み出した笑顔に感情は伴わず、情動とは関係無い。
William James(1884)は、「われわれは悲しいから泣くのではない。泣くから悲しいのだ。」と、「卵が先か鶏が先か」的な視点で、ジェームス・ランゲ説を唱えている。
そもそも、感情は表情に表出しているか。
都道府県別のイメージとして、「京都の人間は腹黒い」と揶揄され、表情と感情が一致しないという県民性があるとされている。(地元民として複雑ではありますが…)
また、接客業や営業職などでは、「営業スマイル」という言葉があり、仕事のために作り上げる表情が存在する。
こういった側面を考えてしまうと、自分と接する人々が、本当の感情による表情を自分に向けてくれているのか、疑いの念を抱いてしまう。
ヒトではなく、動物の習性に目を向けると、猫には sham rage と呼ばれる「みせかけの怒り」があるとされている。
この sham rage は、視床下部前部切断によって消去され、また、Hess(1949)は視床下部前部への電気刺激による sham rage の表出を示した。
怒りには、視床下部が重要という機能が読み取れる。
この現象をヒトに置き換えると、ヒトにも視床下部があるため、「みせかけの怒り」が知らぬ間に表出しているのか、はたまた、何かしらの「みせかけの表情」があるのか、と想像を巡らせてしまう。
もう少し、視床下部を探ると、松尾ら(2003)は、「視床下部過誤腫」という、視床下部にまれな組織奇形が発生するとしている。
これは、神経細胞が普通よりも増えてしまう病気で、視床下部過誤腫になると、「笑い発作」などを主徴とする難治性てんかんを発症するとされている。
笑顔という表情が、発作的に引き起こされるという事は、則ち、疾患によって表出される表情が存在すると言えるだろう。
ここまで、表情に関して考察を述べてきたが、マスクに覆われた生活を強いられた昨今において、特に、子どもへの影響が懸念される。
その影響とは、幼少期から、接する人の、顔全体の表情のパターンを窺い知れない分、その表情がどういった感情を伴う表情なのかの理解が、後退するのではと憂慮する。
さらに、今、接している人が、どういった心境でいるのかという、洞察力の機能が減退するとも危惧する。
また、顔を認識する脳の機能として、Quiroga ら(2005)は、ヒトの海馬には、特定の人物に応答する神経細胞が存在するとしている。
その研究は、被験者が、ジェニファー・アニストンという女優の、色々な服を着た写真や、色々な角度から撮った写真を見る。
すると、全てジェニファー・アニストンであると識別し、反応するニューロンが確認された。
これらの、顔を特定する機能においても、コロナ禍におけるマスク着用により、顔の特徴が掴めない分、減退すると推測する。
つまり、人が人を顔認証できにくくなってしまうという心配である。
以前、私自身がマスクを着用して高齢者と接した際に、「表情がわからない」「何を思っているか分からない」と不信感を抱かれた事がある。
これが、子どもの場合、人と接する事への不安が募り、対人恐怖症に発展する可能性も否めないだろう。
「情動」とは、個体が何らかの環境状態に遭遇したときに、それによってほぼ無意識的に引き起こされる身体的反応(生理的反応や脳活動)とされている。
扁桃体は、Yakovlev(1948)のヤコブレフの回路によると、情動の回路を通っている。
また、扁桃体は、情動的な記憶の形成をし、特に恐怖の記憶に関わるとされている。
いつ終息するかも分からない感染症への、恐怖の蓄積から、扁桃体への影響は避けては通れないものであると推測する。
扁桃体に関する疾病として、パニック障害や、心的外傷ストレス(PTSD)などの発症が憂慮される。
それらを踏まえて、マスクを外せる自宅などでは、感情を表情で伝える絶好の機会であり、貴重な時間となるだろう。
ワクチンの普及によって、徐々にマスクを外した生活が見込まれるかと予想していたが、今現在も状況は変わっていない。
スポーツやエンターテイメントのイベントでは徐々に「声出し」が可能とされてきているが、条件として、マスクの着用をした上での話である。
コロナウイルスによって失われた表情は、この先も失われたままなのだろうか。
それとも、マスク着用が「エチケット化」する状況から、神経の可塑性によって、また新たなコミュニケーションのスキルが生み出されていくのか。
ただ重要なのは、人間の尊厳として、「感情の表出の自由が、決して制限されてはいけない」と、強く思う。
《参考文献》
Guillaume-Benjamin-Amand Duchenne de Boulogne(1862) Mecanisme de la physionomie
humaine. 1854-56. Printed.
松尾宗明, 久野建夫, 有田和徳(2003)「視床下部過誤腫の特徴的な臨床像と治療」Vol. 44
No.5
日本経済新聞新聞「マスク『個人判断』3月13日から 政府、屋内外問わず」https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA107930Q3A210C2000000/ (2023、2月10日閲覧)
Purves D, Augustine GJ, Fitzpatrick D, et al., editors. (2001)The integration of Emotional
Behavior. Neuroscience. 2nd edition.
R Quian Quiroga, L Reddy, G Kreiman, C Koch, I Fried(2005)Invariant visual
representation by single neurons in the hunan brain. Nature. 435(7045). 1102-7.
William James(1884)What is an Emotion? JOURNAL ARTICLE. Vol, 9. No.34. pp. 188-
205
Yakovlev, P, I. (1948)Motility, behavior and the brain; stereodynamic organization and neural
co-ordinates of behavior. Journal of Nervous and Mental Disease. 107, 313-335.
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