ゼロをかけるまで(23/10/05)

どこまでも続く秋の夜が、僕を歩かせていた。僕は、これまで起こったことを順番に数えていた。見落としのないように、とても慎重に。

生まれてから今まで、得たものと失ったものを足し上げたら、全体はプラスになるだろうか。それとも、やっぱりマイナスなのだろうか。
青春、朱夏、白秋、玄冬。四季を色に例えると秋は白だ。夏はまっかで、離れていても誰かの存在を熱気として、湿度として感じられる。秋はそのあとにやってくる。朱い喧騒が去り、孤独の白がやってくる。
太宰は、「秋は、ずるい悪魔だ」と書いた。実は夏と共にやってきて、気が付かぬうちに準備をしていると。秋は、情念と孤独を忍ばせていると。確かに。秋はずるい悪魔だ。この季節になると、僕はいつだって容易に、彼の岸の景色を思い浮かべることができる。

僕の脇を、バイクが通り過ぎた。イヤフォン越しのエンジン音が夜空へと吸い込まれていった。しろい夜空へと吸い込まれていった。月は奇妙に高く、それでいて大きい。

「冬隣」という晩秋の季語がある。玄冬が最晩年だとすれば、晩秋は死を前にした準備の期間だ。冬の隣にある季節。死の近くにある季節。
僕はずっと、これまでの色々を数えていた。足して引いて、引いて足して。そうしているうちに、なんだかばかばかしくなった。答えはわかっている。最期には全員がその値にゼロをかけるのだ。積み上げたものにゼロを。青い季節にも、朱い季節にも、そして白にも玄にも、ゼロをかける。ゼロをかけてゼロ。それが僕の、そしてあらゆる人間の答えになる。

猫が僕を一瞥し、道を横切った。首元の鈴が小さく空気を揺らす。その振動が僕へと伝わり、イヤフォンを超えて侵入し、増大した。僕は唐突に、寂しくなった。寂しさを紛らわすために、答えのわかっている足し算を、もう一度始める。

どうせゼロになるのなら、意味なんてないのかもしれないと思った。僕の中で、外で、起こるあらゆる事象には何の意味もないのではないかと思った。精神を靴底のようにすり減らし何かをして生きている毎日に、どんな意味があるのだろう。生まれてから死ぬまでの道程に、何を見出せば良いのだろう。僕のこれまでとこれからは、この季節のように真っ白く思われた。

ややあって、イヤフォンを外した。耳から電子機器が取り外されたそのあとに、虫の音が聞こえた。袖を捲れば肌寒い風を感じた。ゼロになる計算に僕は、とりあえず虫の音と嫋々の微風を足しておくことにした。

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