シニシストの抱える癌は個人主義にあるという説(22/02/05)

そろそろシニシストを卒業したい、と思い続けている。もしかするともう3年以上、つまり中学校や高校ならとっくに卒業しているくらい、その願望だけが頭の少し上あたりを彷徨っている。


cynicalの語源はギリシャの哲学者ディオゲネス に遡る。数々の逸話を残す彼は樽に住んでいたこともあると言われていて、その立ち居振る舞いは”犬のディオゲネス ”の二つ名を冠するほどだ。そしてもちろん、彼は冷笑主義者だった。


僕のほっぺたはいつからか固く、そして冷たくなってしまった。それが社会の潮流なのか、それとももっと本性的な理由から来るものなのかは定かではないけれど、一つ言えることは、それがある種の防衛行動だということだ。
冷笑的な所作には常にメタ認知的な、つまりそこで起こっている現象よりも外側からの視点が付随している。例えば、ある議論が巻き起こっている時、熱く主張を戦わせている当事者を冷ややかに笑う態度は、その議論を一歩引いて見ているために発生するわけだ。その議論自体の自己言及性とか、当事者の”マヌケさ”みたいなことを俯瞰的に笑っている。
しかし、『現象に対するメタ認知』という現象にもやっぱりメタ認知というのが可能なわけで、つまり『誰かを笑っている僕』を僕自身が笑う(=批判する)こともできる。さらに言えば、この”メタメタ認知”によって初めて、僕のシニシズムが本質的に防衛行動に依るものであることもよくわかる。
俯瞰者というのはいつでも安全だ。それはまるで喧嘩を見て見ぬふりする通行人のように、関わらないという行為は自分を守ってくれる。これは喧嘩のような物理的危険を伴うものだけではなくて、精神的な問題についても同様だと思う。こうして、僕の"メタメタ認知"はいつも僕の”メタ認知”の本質をえぐっている。
この話は、論理的にはメタ認知の無限後退に堕ちるわけだけれど、それはいったん置いておいて、ちょっと僕のシニシスト卒業について書きたいと思う。平たく言えば、『俯瞰者は当事者にはなれない』。長らく着こなしてきたシニシズムの甲冑を脱ぐことができなくなった僕は、これから先、ずっと社会の中で当事者になれないような気がしているのだ。
例えば僕が何らかの行動を起こす時、僕のメタ認知は僕自身へ向けられる。僕という当事者を僕という俯瞰者が嘲るという構図だ。自分を守るために被ったはずの甲冑は結局、僕自身の行動すらも完全に制限してしまっている。

ここまで否定的に書いてきて何だけど、僕は別に今の姿勢が嫌いなわけではない。むしろ物事に冷笑的であることは恩恵をもたらす所作であるとすら考えている。でも、それでも、僕は先のような問題を抱えている。結局、僕の抱えているシニシズムの癌はどこにあるのだろう。


紀元前336年、アレクサンドロス大王がコリントスに将軍として訪れたとき、ディオゲネスが挨拶に来なかったので、大王の方から会いに行った。その時、彼は体育場の隅にいて日向ぼっこをしていた。大勢の供を連れた大王が「私がアレクサンドロス大王である」と名乗ると、ディオゲネスは「私は犬のディオゲネスです」と答えたという。大王が何か希望はないかと聞くと、「あなたがそこに立たれると日陰になるからどいてください」とだけ言った。帰途、大王は「私がもしアレクサンドロスでなかったらディオゲネスになりたい」と言ったという。---Wikipedia(ディオゲネス (犬儒学派))

ディオゲネス と僕の(そしてもしかすると現代の)冷笑主義には、決定的に異なることがある。それは”注意を向ける対象”だ。
逆説的だけれど、インターネットの中で多くの時間を過ごしているせいで、他人の行為は驚くほど可視化されている。誰と誰が何をしているかということがまるですぐそばで起こっていることのように感じられるし、それらに対して人々が何を考えているかすら文字通り手に取るようにわかる。こういう状況というのは冷笑主義者にとって”注意を個人に向けられる条件”というのが整っているように見える。語弊を恐れずに言えば、自分が精神的に”見下せる”対象がそこいらに転がっていて、”見下す”という行為が暗示的な大衆によって是認されているからだ。
しかし一方で、ディオゲネス がとっていたような、自分が精神的な意味で”見下しづらい”相手に対するシニシズムという態度は、形を潜めている。本来意味を持っているはずの体勢批判とか問題に対する冷ややかな視点はもはや”シニシズム”の言外の意味になってしまったように思われる。
こうした観点を敷衍すれば、とどのつまり、冷笑主義が必要以上に個人主義に結びついてしまったことこそ、僕の行動を制限し、ともすれば社会の浄化を遅延させている本質的な原因なのかもしれない。甲冑は自分を守るためにあるのではなく、むしろ正しく批判するためにあるのかもしれない。

とは書きつつ、僕が完全にこの蟠りを解消して、何かから卒業できるまでにはまだもう少し時間がかかりそうだ。年甲斐もなく尾崎みたいな結びになった。おわり。

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