マンガから学ぶ人生において大切なこと~#01 ミステリと言う勿れ~

今日もお越しいただきありがとうございます。
このシリーズの第1回では、今話題の「ミステリと言う勿れ」です!

※このシリーズでは、どうしても少々のネタバレが発生してしまいます。
原作やドラマをこれから楽しみたい方は、その点、十分にご注意いただくとともに、ネタバレがあることをご了承ください。

①ミステリと言う勿れ

心理学を学ぶ大学生「久能整(ととのう」が、その独自の目線・考え方で事件を解決していくミステリーマンガです。

最近は実写ドラマ化してかなりの人気ですよね!

僕も毎週欠かさず観ています。
原作とはちょっと違うストーリーや人間関係が展開されていますが、とても面白いですね!
そんな「ミスなか」から学べる、人生において大切なこととは?

②「乾く前のセメント」

僕がこのマンガを通して最も強く印象に残ったのは次のセリフです。

「子どもって乾く前のセメントみたいなんですって」

ミステリと言う勿れ 第2巻

この表現に、衝撃と感動を覚えました。
これからじっくり形成されようとしている子どもの心をかなり的確に表しており、

「落としたものの形がそのまま跡になって残るんですよ」

ミステリと言う勿れ 第2巻

という説明にもハッとさせられました。

まだどんな形にもなれる柔らかい状態の子ども達の心。
晴れた温かい日差しだけが注がれてほしいのですが、時には雨風にさらされることもあります。
それだけではなく、時には大きいものや硬いものが落ちてきて、ぶつかったところがいびつに変形してしまうこともあるでしょう。
実際にマンガの中では、ここでは言い表せないくらいの衝撃を受けた子ども達が描かれています。
そして、主人公自身も。

③「どうして名前で呼んであげないんですか?」

主人公の久能整は、その知識の豊富さとともに、いろいろな角度から、いろいろな人の目線で物事を見ることができる人物です。
久能整本人の目線、客観的な第三者としての目線、幼い子どもの目線、架空の設定の女性の目線など、マンガでは遭遇する事件の関係者の目線で考え、解決に導くことができるシーンがいくつもあります。

そんな中、マンガの中で、主人公が視野の狭さを恥じたシーンがありました。
子どもを名前ではなく「お姉ちゃん」としか呼ばない人に対して

「どうして名前で呼んであげないんですか?」

ミステリと言う勿れ 第9巻

と聞くシーンがありました。

僕には妹がいますが、親から「お兄ちゃん」と呼ばれるよりも、下の名前で呼ばれることが多かったから、あまり何とも思ってこなかったんですが、親や親戚から「お兄ちゃん」や「お姉ちゃん」としか呼ばれなかったら、確かにちょっと寂しいのかもしれません。

話をマンガに戻しますと、それをその事件のとある関係者の人に話したところ、主人公の考えを上回る返事が出てきたんです。

「もし親兄弟がみんな亡くなってしまうと、もう誰も”お姉ちゃん”とは呼んでくれない。”詩さん”て呼んでくれる人は、これから先もいるかもしれない。でも、”お姉ちゃん”て呼んでくれる人は、もう決して出てこないの」

ミステリと言う勿れ 第9巻

主人公は一人っ子なので、この発想はなかったのでしょう。
「未熟者でした」とひれ伏しています。

ここでも、僕は感嘆のため息をもらしました。
この返事の内容もとても心に刺さりましたし、主人公が「未熟者でした」と素直に認め、ここで新たな目線を学んだところに感銘を受けました。

人はどうしても主観的になりがちです。
しかし、いろいろな人の目線でものを考え、行動することによるメリットは計り知れないと思います。

④まとめ

全部書くと、かなり長くなってしまうので、ここで終わりたいと思いますが、他にも心に残る、人生の教訓になるセリフがたくさん出てきますので、ぜひ読んでみてください!
きっと、あなたの心にも刺さりますよ!

それではまた、次回は別のマンガについて書いてみようと思います!
それでは、お読みいただき、ありがとうございました。

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