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おもてなしの王様 福島靖 〜リッツ・カールトン流おもてなし営業の軌跡 エピソード1

初めに
 この度ご紹介するのは福島 靖さんです。リッツ・カールトン勤務6年間の経験の中で見出した、“お客様の記憶に残る技術”を元に、現在は外資系企業で法人営業をする傍ら、講演活動やセミナー開催などにも力を入れていらっしゃる彼。TwitterなどSNSでも多くのフォロワーに愛される、そんな福島さんの価値観の原点を知るべく、お話を伺ってまいりました。
 感想を先に少しお話しすると、とにかく面白く、刺激と向上心に溢れるパワフルな半生を垣間見ることができました。最後までお付き合いいただけると、とても嬉しいです。

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https://twitter.com/YasushiBoeing

おもてなしの王様 福島靖
〜リッツ・カールトン流おもてなし営業の軌跡

目次
エピソード1 3月8日 配信済み
生い立ち 高校生→家出
社会人歴 上京→居酒屋→バー時代


エピソード2 3月9日 配信済み
リッツ入社秘話 飲食コンサル面接→書店→リッツとの出会い
リッツ駆け出し リッツ愛→配属

エピソード3 3月10日 配信済み
リッツ退職秘話 リッツスタンダードを生み出した→プレゼント→理想の弔辞
あとがき

生い立ち 高校生→家出


 四国の愛媛県に生まれ、健やかに育った。両親は道を外さなければなんでもやらせてくれた。ある日、小学校の社会の時間、江戸時代の身分制度について習った。その単語が新鮮で、家に帰った彼は、母と風呂に入りながら大きな声で「エタヒニン」と声に出した。すると、ものすごい勢いで強烈なビンタをくらった。あまりの衝撃に呆然としながら母を見上げると「世の中にはいろいろな人がいるけど、誰かを否定するようなことは絶対に許さない!」と告げられた。「後にも先にも母が手を挙げたのはこの一回きり。外してはいけない“道”って、“人としての道”ってことなんですよね。これはずっと僕の根底にあるんです。」と福島は話す。

 そんな少年福島は、中学生になる頃には健全にグレていた。通っている中学校では小さいけれど“福島グループ”なるものもできていた。
 ある朝、突然仲間と思っていた面々が口を聞いてくれなくなった。なんとか1人から理由を聞き出すと、福島グループは一夜の内に、最大派閥である玉井くんグループに吸収されていた。笑うしかなかった。独りぼっちになった。
 そんなあっけない“ナカマグループ”の終わりを目の当たりにした福島は、突然人付き合いがとても面倒になり、自ら孤立した。高校3年間は取り立てて友達を作ることもなく、家族との会話もなく、一日のほとんどを独りで過ごすようになった。最初の1年こそ寂しいと思うこともあったが、2年目、3年目にもなると、こんなもんかと思うようになっていた。
 そんな日常の中で見つけたのが、兼ねてから好きだった飛行機との時間だった。鉄道ファンの間に「乗り鉄」や「音鉄」という言葉があるように、福島は飛行機の中でもそのエンジン音に強く惹かれることとなる。
 「時間を見つけては松山飛行場にいき、離陸の時の飛行機のエンジン音を録音するんです。家に帰ってひたすらそれを聴き続ける。すると『これはボーイングの777かな?』とか、だんだん違いがわかってくる。これが本当に至福で、最高に自由な時間に思えたんです。」と福島は話す。

まさにエンジン界の天才と呼ばれた本田宗一郎のエピソードのようだ。

 これもまた高校時代のお話なのだが、毎日の昼食の時のこと。いつもヤマザキのソーセージパンを二つ買っては、一つは自分、もう一つは鳩にやっていたのだそう。
「毎日鳩に餌をやっていると、それぞれの個性や、体調、力関係なんかが見えてくるんですよね。なんとなくそれを見ているのがおもしろかった。」と福島は振り返る。この二つのエピソードから、彼が【小さな違和感・変化】に気付く、ズバ抜けた【個の違い】に対する洞察力が、天性からだけのモノではなく、自ずとトレーニングされたモノなのだと僕は感じた。なんの意味があるのかその時はわからなかったことも、間違いなく今のホスピタリティ溢れる福島を作り上げるピースになっている。二つのエピソードから人生に無駄などないことを強く感じた。

社会人歴 上京→居酒屋→バー時代


 高校時代はバイトに明け暮れていた。道場六三郎さんのお弟子さんの料理店で、とても厳しかった。「出勤するとまず裏の海岸に降りていって、そこで接客七大用語を大声で叫ぶ。料理長のOKサインが出た者から店に戻り、着替えを済ませ出勤する。当時はこんなものなのかと思ってたけど、今思うともう軍隊みたいですよね。そんなハードな環境が働く価値観のベースになったのは、良かったんでしょうね」と福島はカラッと笑った。
 そんな超体育会系なアルバイト生活だったが、自分に関心を持ってくれる場所がとても嬉しかった。サービスをすれば喜ばれ、一所懸命に働けば認められていく感覚に“やりがい”を感じ、夢中になった。時給¥650のバイト代は使うあてもなく、気付けば50万円の貯金になっていた。
 高校3年生の9月、自分の誕生日に家を飛び出した。上京のキッカケは当時好きな女優さんだった広末涼子さんの雑誌を手に取ったところ、裏に彼女の事務所の夏のオーディションの広告が載っていた。「同じ事務所に入れたら、広末涼子さんに会えるのか!」と期待を胸に応募する。とんとん拍子にことは進み、仮所属として事務所に入所することが決まった。当時17歳、両親には話せなかった。
 まず横浜に出て、横浜のランドマークタワーの地下街を歩いて要るときに見つけた、飲食店のアルバイト募集のポスターに、その場で飛び込み「働かせてください!携帯も持っていないので、この場で採用のジャッジをしてください」と頼み込んだ。その場で即決してもらい、早速翌日から働くことになった。
そんな熱意あふれる少年が、ある日突然飛び込んできたらと考えると、当時その場に居合わせた人はさぞ驚いたことだろう。
 そこまでして掴んだ職場だったが、入社1ヶ月で辞めることになる。
キッカケは引っ越してすぐに購入したテレビデオに映し出された番組だった。和民が特集されていた。ブラウン管の中に映し出される、膝をついてオーダーを取る姿を見て、「やばい・・・カッコ良すぎる」と、衝撃を受けた。
翌日さっそく当時のバイト先でやってみた。それに驚いた店長に止められた。
店長「やめろ!何をやってるんだ!?」
福島「え?膝付き接客、和民でやってますよ!立っているとお客さんを見下ろしてしまいます。」
店長「うちは和民じゃない。いいから立て!」
福島「わかりました。辞めます!!」
 辞めたその足で、和民の銀座の中央通り店の門を叩き、またもや直談判で採用してもらった。
不安はなかったのかを聞くと「躊躇はありませんでした。やると決めたことはやる!それだけでした。」と福島は当時を振り返った。
 和民でのアルバイト生活はとても充実していた。最盛期だったこともあり、集まる人みんなが熱かった。実際に片膝接客を見た時は「これが本物の片膝接客か!!」と感動した。週6で働いていたけど、体の疲れは苦にならず、全国の居酒屋オーナーが視察に来る銀座中央通り店の空気が、とにかく刺激に溢れていた。
 当時、銀座中央通り店を任されていたのは重田店長。この方もとにかく熱い人で、喜ぶ時も、怒る時も全力だった。怒る時は理不尽な理由ではなく、お客様に適当な対応をした時。とにかくすごい人だと思った。どのお客様も必ず4階の店舗から表の通りまで降りてお見送りする。「初めはびっくりしていたお客様も、こんなことしてくれるお店他にないよ!すごいよ!」と言ってもらえることが、とても嬉しかった。
 とても忙しい店舗だったので、お客様を長時間待たせることもあった。そんな中、怒ったお客様に店長がビンタされる姿や、土下座をさせられる姿も目にしたことがあった。そんな無理難題を突きつけられても、素直にお客様に向き合い、お客様にまたお待ちいただいて、席に案内をし、喜んで帰っていただける。自分の恥とかプライドではない、お客様に喜んでいただくためにサービスと向き合う姿が、とにかくかっこよかった。
 福島は「やっていることはカッコ悪いんですけど、心意気がカッコよくて。店のスタッフみんながそんな店長を尊敬し、『いいサービスをしたい』と一致団結していったんです。」と話す。
 
 和民の銀座中央通り店に入社して3年、福島は21歳になっていた。
 勤務中はドリンカーに自ら進んでつくことが多かった。自分の手で作り上げたモノがお客様に運ばれていく、クリエイティブな感覚がとても楽しかった。
 ある時、お客様から「シャンディーガフはありますか?」と聞かれた。これが初めてのカクテルとの出会いとなった。メニューにないものは一切作ったことがなかった。お客様にシャンディーガフの正体がジンジャーエールとビールだと聞いて衝撃を受けた。
 次の休みに書店でさっそくカクテルの本を買い、あっという間にその世界の虜になった。
どれも作ってみたかったが、中でもキングオブカクテルと呼ばれる、“マティーニ”を作りたくなった。当時、和民で発注も任されていたので、さっそくベルモットを発注した。この時にはもう重田店長は異動していて、その時の店長にめちゃくちゃ怒られたという。
「『うちはそういう店じゃない!マティーニなんて出せない!』と言われて、あ、違うんだ。だったら違うところでやります。という感じでしたね。」
 そこからの3年間はバー数店舗を歩き渡り、バーテンダーとしてのスキルを身につけた。どのお店でもお客様に対する熱意は変わらず、より良い接客を提案したこともあったが、「そこまでしなくていい」と受け入れられない日々が続いた。

 ある時、当時付き合っていた彼女に振られ、自暴自棄になり、毎日酔い潰れるまでお酒を飲んだ。酒浸りのフリーター。どうしようもなかった。その日も深酒をして、バーのマスターにおかわりをしたところ、何も言わず氷水を出された。ハッとして、これではいけないと思った。
 家出して上京してから実家とは連絡を取っていなかったが、4年ぶりに実家に電話をした。
父は静かに帰ってこいと言ってくれた。帰る日程を伝え、松山空港に着くと、到着ゲートの正面に父が座ってくれていた。朝からずっと待っていてくれたのだ。
本当にありがたかった。素直に嬉しかった。
 福島の人のために尽くす真心は、知らずしらずのうちにご両親から受け継がれたものなのかもしれないと僕は感じた。

次回は
・リッツ入社秘話 飲食コンサル面接→書店→リッツとの出会い
・リッツ駆け出し リッツ愛→配属
をお届けします

interviewer:masaki
writer:hiloco(with masaki)

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