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髪を切って街をデザインする異色の美容師 〜竹本のりしな 前編

この度ご紹介いたしますのは、湘南 辻堂に流星の如く現れ、瞬く間に地域の住民に愛され、オープン1年で満員御礼・新規受付無期限休止となっております、人気美容室「髪と日常」のオーナー竹本のりしなさんです。ゆるく暖かく、お客様の心を鷲掴みにするお店が、どのようにできたのか、のりしなさん夫婦の面白エピソードをふまえつつ、ご紹介して参ります。

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髪と日常〜竹本のりしな

髪を切って街をデザインする異色の美容師 〜竹本のりしな

目次
【前編】
⒈島根を出て 東京へ
⒉現実とキラキラ
⒊夢砕け なお髪を切る


【後編】
4.がんばれ!祐美!!
5.髪を切って 街をデザインする byのりしな
あとがき

⒈島根を出て 東京へ


 生まれながらに自分のなりたい姿を知っている人なんて、そう滅多にいない。おたまじゃくしですら、あの無駄のないフォルムでは、いつかカエルになって飛び跳ねてやるんだとは思っていないだろう。
 島根県益田市に生まれた、のりしな少年もまた、なりたい姿を探し求めている。日本海に面した人口4.6万人ほどの小さな町で、海は美しく、魚や農産物も美味しい。美しく素朴な故郷。両親もやりたいといえば何でも挑戦させてくれたけれど、ミーハーな田舎者だったと自負する彼が求める、なりたい姿はそこにはなかった。
 目立つこと、みんなに見られることがどうにも苦手で、スポーツをするとその瞬間にみんなの視線が一気に自分に向くことがとにかく嫌で、体育祭で走ったり、球技大会でボールを持つことすらできなかった。それが証拠に、いろいろやってみた習い事の中で、唯一続いたのが書道と空手だったが、空手に関して大会出場は愚か、昇級試験すら一度も受けていない。気づけば小3から高校卒業までの、10年もの間それを続けることになったけれど、決してそれが好きだからとか、向上心からとかではない。
「辞めさせてほしい。」と切り出した回数は数知れず。ことあるごとに、神妙な面持ちで、先生の元に向かった。すると決まって先生は、
「お前みたいな奴は辞めちゃいけない!試合にも出なくていい。試験も受けなくていい。ただ練習には来い!」と引き止めてくれる。なにも言い返せない。これの繰り返し。
 引っ込み思案なのりしな少年にとって、自分の親のようにどんな自分も受け入れてくれる、先生の言葉が純粋に嬉しかった。地元に残って空手を続けるという道もあったのだろうが、大好きな先生や先輩の顔を見ると、尊敬する人たちでかっこいいとは思うが、のりしなのなりたい姿に空手はなかった。
 高校生当時の彼は、東は大阪、西は博多までなら行ったことがあったが、大都市東京は未開の地だった。芸能界にディズニーランド、きらびやかな場所というイメージで、そんな環境に身を置けば、自分も変われそうな気してくるのだ。いろんなことを見たい、知りたい。当時はよくわからないけど、何かを見出したい。好奇心が掻き立てられたのりしなは、高校の進路指導室に届いた求人から、寮のある職場を選りすぐり、その中でも給与待遇のいい物を選んだ。せっかく働くなら、福利厚生や給与がよく、安定した仕事をしたかった。
 学年130人ほどの同級生の中で、その年東京に出ることを選んだのは2人。その内1人がのりしなだということに、誰もが驚いた。
 ついに空手を辞める時が来た。
「東京に行くので辞めさせてください。」と告げた。物理的に辞めざるをえない。やっと辞められる!と思った。「のりしなが東京行くんか!?」とざわつく先生や友人たちの顔を見て、自分の決断が誇らしく思えた。そんな中、先生が「頑張れよ!」と肩を叩いてくれた。
「継続を美とする武道の世界では、きっとやり遂げたとは言えないけど、自分なりに空手はやり切ったという自信になったんですよ。」とのりしなは柔らかく微笑みながら、当時を振り返っった。

⒉現実とキラキラ


 東京について驚いたのは、電車だった。大きな駅舎やたくさんの車両、中から出てくる多彩な人々。見ているだけで心がおどった。就職先は埼玉県の南浦和。事務所上の寮に住み込み、毎日関東のどこかに派遣され、巨大な搬送ロボットを修理する、機械エンジニアの仕事。とにかく厳しく、間違えれば殴られることもあった。もちろんすぐに辞めたいと思うのだが、自分が思う以上に案外要領よくこなせた。とにかく2〜3年はお金を貯めて、その間に本当にやりたいことを探そうと考えた彼の、職務態度は至って真面目で、周りの先輩や職人とも楽しくやれていた。ならばそこで昇進を狙うという考え方もあったのだろうが、一緒に働く大好きな先輩たちの顔を見ても、やはりここにも憧れはなく、自分のなりたい姿はそこにもなかった。
 20歳が目前に迫る頃、のりしなの毎日は淡々とすぎはじめていた。いつもの仕事、いつもの面々、変わらない毎日にうんざりし始めていた。そんな生活の中でも、ときめく瞬間があった。当時好きだった宇多田ヒカルのDVDにあるオフショット。メイクシーンにとにかく惹かれ、見入っているとエンドロールにヘアメイクの名前が写し出された。当時ハマって、定期購読していた雑誌「CHOKi CHOKi」の中でも大好きだった内田聡一郎さんもまた美容師。自分が感じるキラキラした世界に一気に惹かれ、どうすればその世界に近づけるのか調べると、携帯の小さな画面の1番上にバンタン専門学校が出る。
とりあえず行ってみようと説明会、個別相談の担当さんにヘアメイクになりたいと話すと、「ヘアメイクさんも美容師の免許は持ってた方がいいですよ。そのコースじゃ免許は取れないから、こっちがおすすめです。」と言われ、「よくわからんが、そっちの方がいいのか。ならそっちでお願いします。」といったかんじで、美容師コースを選択する。

 職場に退職願を出したら、「お前が辞めるなら、俺も辞める」と同期や先輩あわせて4人が同じ日に退職することになった。会社のことを思うとたまったもんじゃないだろうが、若さと労働環境の悪さも手伝い、悪い気はしなかった。退職したその足で、一緒に辞めた4人で京都旅行にいく。これがのりしなの人生に大きな影響を与えるとは、誰も思いもいたらなかっただろう。
 初めての京都というわけではなかった。中学校の修学旅行できたことがあったのだが、その時には感じなかった、何ともいえない空気を当時ののりしなは感じる。新しい世界に進むと決意したタイミングだったからだろうか、まるでこれからの自分を後押してくれるような、力強い空気だった。その空気に惚れ込んだのりしなは、以降25歳で結婚するまで、年に2回ほど京都に通い続けている。
 京都から戻ったのりしなは、コツコツと貯めた200万円を握りしめ、新天地学芸大学前に引っ越す。家を自分で契約するのはもちろん初めて。相場も何も知らなかった彼は、1Kユニットバスで9万円の物件を初期費用90万で借りる。「あれは間違いなくぼったくられましたね。」と彼は当時を振り返りニヤリと笑った。一撃で貯金の半分が吹っ飛んだ。
 両親に事後報告づくしの電話をした。
「何を言っているの?冷静になってよく考えて。」と冷静じゃない親に言われた。
だけど、止められることはなかった。決して裕福な家庭ではなかったので、銀行でお金を借りて、学費を工面してくれた。きっとこうなったのりしなは、誰が何を言おうと止まらないことを重々承知していたのだろう。おかげでつつがなく専門学校を卒業した。

⒊夢砕け なお髪を切る


 憧れの内田氏が店長を務める美容室「VeLO」に内定が決まった。採用試験の中でも、サロンワークという実地テストは、夢のような時間だった。憧れの内田氏でシャンプーの練習をさせてもらったり、そのほかにも憧れていた先輩たちについて教えてもらえる。これだけでもう十分すぎるほど自分はラッキーだと感じた。うん百倍という倍率の中の1人に選ばれた。内定者は3名、内1人がのりしな、内1人は後に妻となる祐美だった。
 4月1日入社式前日の3月31日、美容師国家試験の結果が届いた。不合格だった。
「すいません。国家資格落としました。」と入社初日告げると、超人気店「VeLO」はかつてない居心地の悪いざわつきに包まれた。「VeLO」に受かって、国家試験を落とすなど、前代未聞だったのだ。戸惑いを隠しきれない経営陣・現場スタッフは、とにかく時間をくれと、のりしなに自宅待機を言い渡した。試験に落ちたショックも重なり、自宅で悶々と過ごす内、次第に超人気店に喰らいつくモチベーションは、みるみるうちに萎んでいき、2週間後呼び出された時にはほとんど残っていなかった。
「無免許で働かせるわけにはいかない。次の秋の国家試験に受かったら戻ってこい。それまでの行動計画をたて、表にして持ってくるように。」その一撃で、僅かに残っていたモチベーションが底をついた。「VeLO」で働くことは諦めた。
 
 どれだけモチベーションがなくなったとはいえ、腹は減るし、家賃は支払わなくてはならない。都会で生きるのに収入は欠かせない。何ともいえないギラギラした、差し迫った勢いに任せて、当時住んでいた大田区の家から15分ほど行ったところにある、入ったこともない美容院のドアを開き、
「募集してませんか?免許ないんですけど働かせてください!」とお願いした。
オーナーは呆気に取られながらも「じゃあ、応援するからやってみて。」と受け入れてくれた。
そんな今思えばとてつもなくいい人がいる職場を、のりしなは8ヶ月ほどで退社する。理由は、学生の頃から2年ほど付き合っていた彼女に振られたことだった。思い返せば致し方ないすれ違いだったのだが、振られたことがとにかく悔しくて、自分の部屋に帰ったのりしなは、偶然目についたテレビをボコボコに八つ裂きにし、そのまま部屋を飛び出した。彼女との思い出があるあの部屋に、あの街に戻ることはできず、気づけば故郷島根への帰路についていた。
 働いていた美容室に電話をし、
「もう、彼女がいる大田区では生きていけません。」と事情を話し、退職した。
「今思うとかなり迷惑なやつですよね。」と当時を振り返った彼は苦笑いを浮かべた。誰にでも恩を仇で返した経験はあるだろう。のりしなにとって、これがまさに恩を仇だった。

 帰省した島根には1ヶ月ほどいた。だけどやはり、そこにのりしなの「なりたい姿」はなく、ここで穏やかな暮らしの中で生きる選択肢はなかった。東京に戻ることを決意した。東京に戻ったのりしなは、下北沢2DK9万円のアパートに、幼馴染と2人で借り暮らした。アルバイトをしながら国家試験を受け、免許を取った勢いで、当時破格の高待遇だったQBハウスに就職した。給金にはこだわりがあった。漠然と「お金は必要だ」とおもっていたのだ。その後、専門学校時代の先生に誘われ、サロンのオープンを手伝ったり、吉祥寺の75歳のおじいちゃんが経営するカット専門店で働いた。
 のりしな27歳。1年半の交際を経て、妻 祐美と結婚。妻の実家である辻堂に引越した。

後編は
4.がんばれ!祐美!!
5.髪を切って 街をデザインする byのりしな
をお届けします

interviewer:masaki
writer:hiloco(with masaki)

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