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アラフィフ転職 完全ガイド 無料公開⑦最終回,転職した先に見える景色

【私の体験】内定が出た後のお話

手元に届いた「内定通知書兼採用条件通知書」の封筒を手に取り、中身を見る前に「ありがとうございました」とつぶやき頭をさげた。これは届く前に決めていたことで、給与金額がどうの、働く条件がどうの、ということではなく私のためにポジションを空けてくださった新しい会社への感謝の気持ちを心に刻み、新しい舞台へ踏み出す自分へのマインドセットをするためでもありました。心底ホッとするとともに転職活動が終了し、新しい人生の扉が開いたことを感じました。

私が転職の内定を電話でいただいたのが2024年1月17日水曜日の13時で、会社に辞意を伝えたのが翌1月18日木曜日の16時、そして「内定通知書兼採用条件通知書」が書面として郵便で届いたのが翌月の2月2日金曜日の18時なので、会社に辞意を伝えて書面を手にするまでに2週間あり、不安でいっぱいでした。

紙の内定書がなかなか手元に届かなかったので「何かが起こりストップが入ったのではないか」「社内会議で社長から待ったが掛かり、一旦保留にさせていただくことに・・」となったらどうしよう(焦)とネガティブイメージが浮かんでは消え浮かんでは消えした2週間でした。

この話を聞いた方の中には書面(内定通知書兼採用条件通知書)が届いた後に会社に辞意を告げても良かったのではないか?そう思われる方も多いと思います。でもそこには2つの理由がありました。

ひとつは転職前の会社では、毎年1月31日に3月から発動される新期の組織図に紐づく人事異動が対象者に内示されます。この内示が出る前に退職の意志を示すことで会社に対し新期の組織図から私を外して欲しい旨を伝えることができました。

内示を出した後に退職の意志表示をすると人事部が再調整しなくてはならなくなります。降格などの人事異動が出て辞める人はいますが、そうでない場合「迷惑行為、社会人としておかしい」という意見が駆け巡ることも想定されます。

一番嫌なのは、玉突き人事で、単身赴任する予定で無かった方に、私のせいで単身赴任の辞令が突然出ることです(単身赴任は小さな子どもが居る家庭の場合、大変ストレスが掛かる出来事なのは身に染みて分かっている)。誰かに迷惑を掛ける形で退職する状況は作りたくなかったのです。

ふたつ目の理由は、業務の引継ぎを早めに進めることができるので、同じ部署や関連部署の方々にも無理なくスムーズに業務引継ぎを行うためです。実際に、会社に辞意を伝えると同時に、チームメンバーや仕事の関係者へ事情を説明し退職の挨拶を行い、時間を掛けて打合せを重ねながらスムーズに引継を完了させることができました。

正式な「内定通知書兼採用条件通知書」が届くまでの2週間の不安な時間と引き換えにふたつのメリットを選んだ形です。

結果として、この判断は正解でした。

新期が始まるまでに全ての引継ぎを済ませることができ、新期のスタート日には事務所から完全に姿を消すことができました。また次の会社の入社日までに自分の時間として溜まっていた30日程度の有給休暇を全て使い切ることもできました。

このスケジューリング方法については以前の「スケジューリング」の回で詳しく説明しましたが、この有給休暇で、このアラフィフ転職本の執筆や毎日の家事(料理・洗濯)を通して家族との時間とたっぷり取り、夫婦両方の母親と子ども達を連れ旅行に行くこともできましたし、遠方に住む旧友と再会するなど、人生の洗濯をすることができました。これはお金で買うことができない素晴らしいインセンティブでした。

もうひとつ副産物としては、辞めることを意思表示した瞬間から緊急の飛び込み業務が入ってこなくなったことです。現在持っているルーティン業務をこなしながら引継ぎの資料を作る時間がきちんと確保できたことと、上層部からの理不尽な言動が一切無くなったことも嬉しいことでした。例えるなら「スターマリオ(無敵)状態」。

会社に辞意を表明して以降、やるべき仕事に集中することができたのです。
辞めることが確定したら、なるべく早く会社に辞意を伝えることをおすすめします。

目の前の景色は変えることができる

転職をしたことが無いという方にお伝えしたいことがあります。当たり前の様に聞こえるかもしれませんが、目の前の景色は、自分の意志で変えることができるというお話です。

最初の経験は25歳の時、1回目の転職をした時でした。大学を卒業し、新卒で入った生協(生活協同組合という組織)で、私は共同購入という部署に配属されました。共同購入と言うのは、生協オリジナル商品を毎週お客様にトラックでお届けする仕事です。配属地は四国の石鎚山を見上げ、大きな川が流れる片田舎の緑豊かな町でした。

石鎚山とは西日本で一番高く標高は約2000mもある雄大な山です。朝は天気によって、霧がかっている時もあれば、くっきりとキラキラ眩しい時もあります。昼は緑が深く、一日の配達を終えて帰る夕方時には夕日に照らされて山肌は真っ赤に染まっていく。どの時間もうっとりする壮大さです。これを毎日見ることができる素晴らしさ!
本来、僕は都会より自然が好きなのです。

そして生協では人にも恵まれました。仕事はチームで行いますが、チームメイトの若手5人とはよく仕事し、よく遊びました。冬はスノボー、夏は登山やキャンプ。登山では山頂から見るこの世の物とは思えない壮大な夕日と伸びる5人の影を生涯忘れることはないでしょう。

仕事の面では「セフターE」という生協の洗濯洗剤の販売コンテストの個人の部で私はとうとう1位を獲得したのです。販売コンテストで1位を獲得したことで、その成果は自分自身の力を世の中に問うてみたいという強い気持ちになっていき、最終的にその結果は転職へのファンファーレとなりました。

生協を退職し大好きだった石鎚山の町から実家に戻り、地元のハローワークで手続きを行ったところ、職業訓練制度を紹介され、応募し合格。人生とは面白いもので、政令指定都市にあるビジネススクールに通うこととなりました。ビジネススクールではマーケティングやら経営手法やらを学び当時独身で会った私は、再び大学生に戻ったような生活を送ることとなりました。

そのビジネススクールは政令指定都市のビル群の中にあり、毎朝の通学は、キラキラした石鎚山から、サラリーマンや学生たちと乗る満員電車とそこから広がる空にむけて伸びるビル群の景色へと変わりました。コンクリートジャングルの大きなビルの10階に教室があり、ビルに吸い込まれるように入っていく学生生活・・。つい先日まで大自然の中で暮らしていた自分が、今は無機質なコンクリートジャングルに居る。良いとか悪いとかではなく、自分の力で自分の人生を動かしたのだ、という確かな手応えを感じました。自分の居場所は自分で決めることができる、何と素晴らしいことなんだろうと。

それから再就職を果たし、社内異動などで最終的には4県15事業所で勤務しました。田舎も都会もその中間も歴史の深い街も山の上にある事業所も、色んな景色が目に前に現われましたが、会社から辞令が出て赴任して見た景色と、自分の意志で自分が決めて行った街の景色は全く違って見えることを、今、しみじみと思い出しています。

自分の目の前に広がる景色は自分で決めることができる!

皆さんのアラフィフ転職が皆さんの人生にとって良い転機になることを祈っております。
ベストを尽くして頑張ってください。

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