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言葉一つで 〜『何食べ』、ケンジの台詞から〜

「言葉」を作品にする人ってすごい。


『きのう何食べた?』

『何食べ』が面白くて見ています。
俳優の皆さん(しかもドラマや映画で主役を張れるような…!)が醸し出す空気感や、登場人物同士のやりとりが楽しい。劇中に張られる伏線やその回収の流れにも、いつも驚かされています。



さて、その第一話。
話の流れを書くとネタバレになるので書きませんが、
何だか心を打たれた言葉があります。ケンジの台詞です。

いろいろ変わっていくけど、悪いことばっかじゃないよ

『きのう何食べた?season 2 』第一話より


ケンジを演じる内野聖陽さんの表情や話し方。それらが素晴らしかったのは言うまでもありません。ですが、何よりこの台詞そのものが持つ緩やかさ、穏やかさに、心が救われる思いでした。


「いろいろ変わっていく」からしんどい

「いろいろ変わっていく」時には、自分の思い通りにならないことがたくさん出てきます。時には痛みや我慢を伴うこともあります。

特にこの3年間の「コロナ禍」という時間は、多くの制約の中で生活せざるを得ませんでした。「いろいろ変わっていく」どころか、急流のような変化に自分の生活が飲み込まれ、溺れているような感覚です。僕自身、どこを向いたらいいのか分からなくなり、息が詰まりそうになる苦さも味わいました。

そんな時にはどうしても「悪いこと」ばかりに目が向きやすくなるし、口から出る言葉がネガティブなものになることもありました。今でも、「コロナ禍」の残骸は社会のあちこちに散らばって落ちています。


「いいこともあるよ」だと

それで、ケンジの台詞。

これがもし、「いろいろ変わっていくけど、いいこともあるよ」みたいなものだと、ちょっと前向き過ぎる感じがします。似たような意味だけれど、受ける印象が全く違います。

「いいこともあるよ」だと「いいこと」に限定され過ぎていて、台詞がふわふわと軽くなる。「いろいろ変わっていく」から大変で、辛いことばかりに目を向けてしまう自分がいる(しかも本当は向けたくない)のに、そんな中で「いいこと」ってなんだよ、と。

肯定的な言葉なはずなのに、否定的な気持ちが生まれるのです。そんな気持ちは生まれてほしくないのに、です。否定的な気持ちが生まれるのを否定したい、というサイクル。それ自体がさらにモヤモヤを生むことにもなりかねません。


「悪いことばっかじゃないよ」なら

「悪いことばっかじゃないよ」という台詞には、「悪いこと」と「じゃない」という否定的な言葉が二つ並びます。

劇中では、内野さんの演技と台詞がリンクし、じんわりとした、でも芯に刺さるような説得力を帯びていました。否定的な言葉が並ぶのに、肯定的な言葉を並べるよりも、何故だか肯定的な気持ちが湧くのです。台詞全体を通すと、とても穏やかに前を向く感じがするのです。「いいこともあるよ」より、「悪いことばっかじゃないよ」の方が、身の回りにある「いいこと」に、はっと気付かされるような。

「マイナス」と「マイナス」をただ足しただけだと、「マイナス」にしかなりません。でも、「マイナス」と「マイナス」をかけ合わせると「プラス」になります。そんな感じでしょうか。この台詞は「かけ算」だったのかな、と思います。

どの言葉をどのタイミングで使うのか

言葉一つで、相手を救うことも落とすこともできます。

発した本人のキャラクター。本人と周りの人との関係性。言葉を発する時のトーン。数え切れない要素が関わります。だからこそ、それを自覚して言葉を使っていきたいと思っています。今まで、言葉が原因で失敗したり火傷したりすることもたくさんありました。これからも、やらかすことがきっとあるでしょう。無いようにしたいけれど。

それ故、できるだけ肯定的な言葉を使いたいな、と思いながら生活してきたつもりでした。でも今回、『何食べ』で出会った台詞に、また新しい視点を得ることができました。否定的な言葉も使い方次第で、人を前向きにできるのです。これはなかなか愉しい気付きでした。

どの言葉をどのタイミングで使うのか。言葉を受ける相手の立場や状況を思いやれるかどうか、なのでしょう。

言葉一つ。されど、言葉一つ。



シロさんが作ったカレイの煮付け、食べたい…!