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書くことと考えること
考え、妄想、夢、恋人とのあれこれ、仕事のグチ、今晩の献立、etc..
ぼくたちには今、それらを表現する「手段」と「場」がある。
ブログであったり、SNS、ここnoteであったり。
日頃感じたり考えるたくさんの中から、言葉にしてこういった場所に書くこととなると、絞られはするけれど、その気になればどんな内容でも記すことができる。
ライターや作家といったプロから一般の会社員であれ、学生であれ、じぶんを含め、だれもが書けるし、だれが書いたものでも読むことができる。なんなら国境も越えて。
何を書いたっていい。
何も書かなくたっていい。
こんな自由があるのって実は凄いことなんじゃないか、と思う。
なにがここまで世界を変えたかというと、それはやはりインターネットだ。と断言してもほぼ問題ないくらいに、インターネットの普及がぼくたちを取り巻く環境に変化をもたらし続けている。
この変化の速い時代は厳しくも面白い。
生活や価値観、時間の使い方などが大きく変わって、現在完了進行形で今までの常識が通用しなくなってきている。
そんな中で今までにも増して大事になってきたのが、「考えること」だと思う。
松浦弥太郎さんの『考え方のコツ』から少し引用を。
もしも「あなたは何も考えていないでしょう?」と問えば、多くの人がいささか憤慨しつつ、たちどころに否定するでしょう。しかし実のところ「考えているつもりで、考えていない」という状態の人が多いのではないでしょうか。
どんどんどんどん捨てていく。むやみに知識をためていかない。
一見、時代と逆行するその先には、「感じること」と「考えること」という手つかずの道が広がっています。
怖いのは、考えているつもりで、考えていない状態。
それを避けるにはどうしたらいいのか?
最近思うのは、「書くこと」が「考えること」と一番直接的に繋がっているということ。
持っている知識をただ書くのは違う。深く考えて考えて、自分の中にあるイメージのようなものを、他人のことばではなく自分のことばにして書き表す。
そうやって書いたものは、たとえ稚拙な文章であっても自分のことを知る手助けにもなると思う。
じゃあわざわざうーんと頭をひねってまで書き記すのは、どういったことか?
ぼくがnoteで特に書きたいのは、やさしくて伝わる文章。
ライフハックとか何かのノウハウのような、直接的にタメになるようなことは書けないんだけど、ぼくの書いたことから、ほんの少しでも何か感じてもらえたり、フフッと笑顔になるきっかけになればうれしいなあ、と思う。
自由に考えて書くことは、しんどくって苦しい。だからこそ楽しいという己のマゾ的な部分の発見もあったり。
書き始めたときには思いもしなかったような考えが出てきて、予想もしていなかった方向に進んで行ったりすることもあったりと面白い。
こういったことを考えて書ける、さらに人に見てもらえる場があるのはありがたいです。
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・自由だからこそ感じる不自由という矛盾もある気がしてくる。
・「何を書くか」と同じくらい「何を書かないか」も大事に思える。「書けない」ではなくて「書かない」という空白を持たせることで、伝えられることや想像する余地を与えられる。
このあたりも絡めて書けるかなと思ったんだけど、何とも考えがまとまっていなくてフワフワしているから、またじっくり考えておきたい。
「スキ」が元気のみなもとです!