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雑記やで

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内容はなんでも、その時書きたいことを書いてまとめてます。
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#エッセイ

加速するアホだけは食い止めたい

今年のお盆休みは8月10日から15日までだった。 実家のある三重県には11日に帰省して、墓参りや、産まれたばかりの友達の子供の顔を見に行ったり、前の職場の人たちと飲みに行ったりした。 親バカ全開の友達や、ベロベロに酔っぱらって簡単な足し算も出来なくなっている元上司は面白かった。とてもアホだな、と。 台風10号が迫ってきていたから、昨日14日のうちに京都へ戻ってきて、一晩明けての今日。 一日何もしなかった。 起床 朝ごはん ぼーっとスマホをいじる 寝落ち 昼ごはん 映

上澄みじゃないリアルを見る

ドキュメンタルのシーズン7を観た。 毎回必ず強めの下ネタが放り込まれるから苦笑いの部分はありつつも、なんやかんや笑わせてもらっている。 今回の参加者にはザブングル加藤さんがいて、観ていると、どの部分が面白いところなんだろう?これはいったいどこに向かって行っているんだろう?と、もやもやしたものを感じた。過去の6シーズンでも同様のものを少しは感じていたようにも思う。 ぼくたちが普段目にするバラエティ番組・動画・漫才・コント・ギャグなんかは編集されていたり、練に練られ練習を重ね

あえて本を遠ざけるという選択

マンガを読みたい気持ちはいつだって枯れることなく無尽蔵だけど、最近、本を読む気分にはあまりならない。 娯楽として、暇つぶし、知識を増やす、仕事に活かす、他人の考え方に触れる、疑似体験など、読書をする目的はたくさんあるよね。でも本当に理由をもってしている読書がどれほどあるんだろうか?と疑問が浮かんでしまった。 手段と目的が逆転していることも少なからずあるような気がしてくるし。 今、ちびちびと読み進めているショーペンハウアー著『読書について』では、笑ってしまうくらい読書が否

偶然でも、運命でもない

プライムビデオで『君の膵臓をたべたい』を観て、その中で印象に残ったセリフがあった。 偶然じゃない。流されてもいない。私たちはみんな、自分で選んでここに来たの。君と私が同じクラスだったのも、あの日病院に行ったのも偶然じゃない。運命なんかでもない。君がしてきた選択と、私がしてきた選択が、私たちを逢わせたの。私たちは自分の意思で出逢ったんだよ。 昔からぼくもこれと同じような考えを持っていたから、このセリフのシーンをなんどもなんども繰り返し観てしまった。 自分はこういう考え方を

桜咲け。とはどうしても思えない理由を考えた

みんな大好き桜。もちろんぼくも大好きです。 地元にある大きな川沿いには桜の木がずうっと並んでいて、この時期、夜はライトアップされ露店もたくさん立ち並ぶ。 子どものころは桜よりも、そこの露店で親に何か買ってもらい食べることが楽しみだった記憶がある。普段あまり口にできないようなものを食べられる特別な機会だった。それこそ花より団子だ。 でもいつからか、咲いた桜を見て、こころから綺麗だなと思えるようになった。 そして今も変わらず、桜はとても綺麗だと思う。 なのにどうしてか、

「がんばろう」じゃないことばをかけるとするなら

一年前に書いたnote。 このあと、自分の予定を確認して考えた結果「あ、東北行けるわ」となり、2週間後に宮城県の石巻市へ行った。 実に6年半ぶりの石巻。また行こうと思い立ってからたったの2週間後にはそれを実現できたっていうのに、それまで行動を起こさなかったのはなぜだったんだろうかと不思議になる。 久しぶりの石巻では、様々な変化に気づいた。でこぼこだった道、そこら中に積み上げられていた瓦礫、被害を受けた住宅・建物。それらが見違えるほどキレイになっていた。新しい施設、お店な

笑って笑わせて

「このフタ、固いの。開けてくれる?」 そんなひと言とともに女性からピクルスの瓶などを渡されると、さっと緊張する。ぼんやりテレビを観ていたリラックスタイムが、いきなり試練の場に変わったのだ。渡された瓶のフタをみながら、固そうだな、と思う。大丈夫かな。 彼女の握力 < 私の握力 これは確かだと思う。だが、問題はフタの固さだ。 彼女の握力 < フタの固さ < 私の握力 これなら問題はない。 「ほら、開いたよ」 「わあ、ありがとう」 そして、再び『アリ

目と鼻で感じる訪れ

先週末からずっと暖かい日が続いていて、最高ですね。 正確には、まだ寒いことは寒いんだけど、確実に寒さのピークを過ぎて春の足音が聞こえてきている。日当たりのいい場所だったらとても気持ちがいい。 でも暖かさと同時にやってくる厄介なものもまた存在する。ただただ暖かさを享受することは許さん!とでも言うかのように、毎年もれなくやってくる。 そう花粉。 仕事柄、日中はずっと外にいるんだけど、今日ついに「発作かな?」と思う程にくしゃみを連発してしまった。ええ、確実に飛んできてますね

ドクロを背負った老夫婦

大酒のみの神父、お肉が大好きなムスリム、食べるヒアルロン酸、といった一見矛盾しているようにみえる組み合わせの妙。 距離がかけ離れているものごとが結びつくと、印象がとても強くなる。 ある日、吉野家で昼食を済ませて外にでると、ぼくに続いて老夫婦も店を出てきた。何気なくふたりが乗り込もうとする車に目を向ける。 それは普通の軽自動車なんだけど、ボンネットにドクロのステッカーが貼ってある。 「え!!?」 と驚いてもう一度二人を見やるも、どこにでもいる穏やかで感じの良さそうな老

インプットなきアウトプットはない

ここ最近勉強したり本を読んだりがあまりできていない。 だからなのか、noteに何を書くことを全く思い浮かばない。下書きのまま置いていたものだったり、こうして書くことが無いことを書いてはいるんだけど、それも長くは続かないはず。 書くことが無いなら書かなければいい。 それも間違いではない。でも一度書くことを止めてしまったら、また書き始めるまでにすごく時間が空いてしまうだろうし、何かに負けた気分になる気がするから、少しあがいてみる。 こうしてなにかしらを書くためには、やっぱ

毎日見ている自分の顔では アハ体験できない

太らない体質だから何を食べても大丈夫。 数年前までそんな思い込みがあった。 友達と一緒にジムに通っていた時、ただトレーニングをするだけでは効率よく筋肉がついていかないので「飯トレや!」と言ってたくさん食べていた。 その後ジム通いを止めてからも、ご飯を多く摂る習慣だけは残った。 しばらくすると、まわりから「太ったよね?」と言われ出したんだけど、今までずっと細身で太った経験もなく、「いや、筋肉がついただけやし!」という思い込みもあったので、全く相手にしていなかった。 そ

なにがどうなろうと、たいしたことはありゃあせん。

好きな作家は?と聞かれたら、真っ先に名前を挙げるのが宮本輝(敬称略)だ。 宮本輝の作品には訓辞のようなことばがあふれている。そしてそれらは、読者に教え諭そうとするのでなく、登場人物の人生に深く根差した生きたことばとして語られる。 ドキドキハラハラや爆笑、奇想天外なストーリー展開はないけれど、惹き込まれてしまう魅力がある。 最近ゆっくりと読み進めているのが「いのちの姿」というタイトルの随筆集。そのなかに、宮本輝の父の言葉がある。 なにがどうなろうと、たいしたことはありゃ

人生100年時代を生きているぼくたちは、スクワットをする

ちきりんさんのこんなツイートを見て、驚いた。 ぼくは1991年生まれだから、本当に100歳近くまで生きる可能性がそれなりに高いということになる。 嬉しいのかそうでもないのか、なんとも言いがたい。 大好きだったおじいちゃんは83歳で死んだから、ぼくもだいたいそれくらいの年齢まで生きられたらいいなと思って過ごしてきたのに、100歳まで生きるってことになったらどうしよう? 一応そこまでを想定した人生設計が必要になってくるね。 長生きするにあたって最も重要とも言えるのが、足

妻、ヨメ、奥さん。どのことばを使う?

ことばの持つ力って本当にすごい。 ことばにすることで自分の考えや気持ちがより明確になる。より強くなったりもするし、その通りに現実化していくこともある。 だから、どうなりたい・どうありたいということをきちんと ことば にしておくことは、とても大事だと思う。 人に対しての場合も、よく考えてことばを使わないといけない。 なにげなく使っていることばでも、よくよく考えてみると正しい使い方ではない、ということはよくある。より相手に伝わるように、ことば選びは本当に大切だ。 使うこ