成れ(慣れ)の果て
「成れの果て」とは落ちぶれていった結果の有様らしい。
自分に返して思いを巡らせてみると「慣れの果て」という書き方がしっくりくるような出来事があった。
日々生きていると、様々な出来事、発言、立ち回りなど慣れが生じてくる。もちろん良い意味も悪い意味もあるがとにかく「慣れ」の連続だしこれが「慣れ」である事すら気づかず生きている。
「慣れ」の結果、時には大切な事(モノ、ヒト)すら「慣れ」てしまい忘れてしまう。大きな間違いだ。心に留めておこう。力を入れすぎるなあるがままを楽しもう。そしてチャレンジだ。
どうせなら「慣れ」ではなく、何かを成し遂げる何者かに「成れ」と自分にエールを送ろう。
マサごころ