"型"の無いテーブルを囲む
普段の食事はある程度の"型"の下で運営されていると考えます。
朝ごはん、昼ごはん、夜ごはん。
誕生日や合格、結婚などの祝い。
端午の節句(柏餅)、土用の丑(うなぎなど「う」のつく食べもの)、冬至(かぼちゃ)などの伝統。
時間・時期・方法などどんな場所でもある程度の再現性をもって実施できるようになっています。
伝統のある日に食べるものが決まっているように、朝にパンとコーヒー、昼には定食、祝いのテーブルは祝われる者の好物とバースデーケーキ、など伝統以外の食事にもある程度の型があることがお分かりいただけます。
※バースデーケーキの由来はギリシャ神話の月の神アルテミスの誕生を祝うためにケーキを焼いて供えたことから。
一方で、世の中には日々型のないテーブルが生まれています。
たとえば、自然発生的に参加者個々人が持てるものを持ち寄った食卓。
和洋中に留まらずアジア、アメリカ、アフリカまで各国料理が偶然揃ったりする。
これが「オードブル」とか「バイキング」とか「持ち寄りパーティー」としてパッケージされると、急に型の中に押し込まれてしまう感がするのも面白い。
たとえば、急に1人1品を即興でつくることになった食卓。
先ほどの例と同じく、参加者それぞれの気分や嗜好、普段の生活が反映されて、その場所・その時間にしか表れないテーブルになります。
食事が主役にならないテーブルもあります。
カードゲームやボードゲームなどをするために集まった場所に、その時そばにあった酒や簡単な食べものを取り出してきて集まってくる。
目的がゲームにあって、後から食べものが足し算されてできあがるテーブルも、意図していないものが生まれる点で、上2つの例と共通していると言えるでしょう。
こう解説を試みるとある種の型をつくってしまうようで本意ではなかったりしますが、つまり「食事の場は自然発生的に生まれたってよい」とか「食事の場にはセッション的要素がある」と言いたいわけで、その瞬間が来たときに不確実性を楽しめるための「食事の場」への関心を育てていくことが肝要と考えています。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?