法律探求家であるということ

みなさんこんにちは!
観光法務の専門家、観光系行政書士の谷内田です。笑

noteでは、通常の情報発信ブログやtwitterとは趣向を変えて、日々の業務についてや、谷内田の粗削りな考え方を発信する場として位置付けています。

行政書士や社会保険労務士、弁護士など法律系の国家資格者のことを法律実務家なんて言ったりします。
一方で、法律の条文上の文言などを解釈して定義づけしていく方々のことを、学者ないしは研究者と呼んだりもします。
この学者が提唱する見解を学説と呼んで、裁判所の判決(判例)とあわせて、法律実務において非常に大きな影響力をもたらします。

私は学生時代、法学部生として法律を専攻してきました。
大学とは基本的に学問を修める場ですので、論壇に立つのは学者の先生で、法律学とはなんぞや、法律にはこんな学説があって、こんな判例が出ている、そういったことを勉強してきました。

私はそんな法学に興味を持って、いずれは研究者になりたいと、漠然と考えるようになりました。
そんな考えを持って、漠然と大学4年生のときには、大学院の試験を受けるために、勉強をしていました。

ただ、それはあることがキッカケで考え方が変わり、法律実務家を目指すようになりました。
そのキッカケはまたいずれ。

法律を使って、人の役に立ちたい。
漠然と、最初はそんな気持ちから法律実務家への道を模索しました。
その中で目に留まった資格が、行政書士でした。

幸いにして試験に合格して、縁とタイミングで独立をして、今年で丸5年を迎えます。
なんとかかんとかここまで生き残ってこれて、多少なりとも法律実務をかじってきました。

今思うのは、法律というのは一つ一つの現場で日々発生する、生きた事象なんだなということです。
行政書士が取り扱う法律分野は主に行政法といわれる学問分野で、その範囲は広範囲にわたります。
いってみれば行政と市民の間の関係を決めている法律で、それは日々執行という形で法律が動いているのです。

私たちは、この日々の現場で起きている事象を観察して、解釈をして、妥当な落としどころになるように、依頼者の方、行政の担当者と折衝を繰り返しています。

そんな日々の中で痛感するのは、我々は法律実務家であると同時に、法律研究家でなければならないということ。
法律の考え方解釈の仕方というのは、実は明確ではありません。
法律を作る担当者の方は、できる限りあいまいな解釈余地が入らないように非常に回りくどい言い方で、一義的になるように文言策定をしています。
ただ、どうしても日々変わっていく世の中の事象と、法律策定当時の時代背景が乖離してしまって、その離れてしまった隙間を埋める作業が発生してきます。
その隙間を埋める作業は通常、通達事務連絡という形で上位の行政庁から下位の行政庁へと周知徹底されますが、すべての隙間をこの通達などで埋められているわけではありません。
また、役所内部で出されている通達や事務連絡が、本当に妥当な解釈になっているとも限りません。

そこで、我々は法律の制定された趣旨や時代背景、現代の社会状況まで加味して、なぜこういったルールがあるのか、ということを吟味して、提案をするということが必要なのです。
もちろん、一方的に市民に有利なように提案をするのではなくて、行政にとっても市民にとっても妥当な落としどころを狙って、法律を解釈して、検討していくのです。

法律の解釈をするためには、当然法律を知らなければなりません。
法律を知るというのは、判例や学説を批判的に研究して、自分なりに解釈をするということです。
これは、先に申し上げたように学者や研究者がすることです。
ただ、学者や研究者がするようなことを法律実務家がしてはいけないという決まりはどこにもありません。
我々法律実務家は、可能な限り実務をこなしつつ、法律の研究や解釈をしていく必要があるのです。

私は勝手に、実務に携わりながら法律の研究をしていく人間を、法律探求家と呼んでいます。

これからの時代に求められる法律実務家の姿は、この法律探求家だと思います。
ただ事務作業を反復継続するだけの単純な代行者は、間違いなく淘汰されます。
法律を読みこなし、使いこなす、法律探求家こそ、我々が目指すべく姿なのではないかと思うのです。


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