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受験生たちに思うこと
iTunesカードを買った。Apple music更新のためだ。1ヶ月で980円。ほんのちょっと奮発して、3000円のカードを買った。これで3カ月もつ。
そう、3カ月。
そう思ったとき、当たり前のことに気付いた。
3ヶ月経ったら、中3生たちの受験は、もう終わっている。
そんなあっという間のことに気がついて、ちょっと悲しくなった。お別れが近づいているからだ。
僕の勤め先は千葉県。千葉県の入試は1月中旬に私立の入試、そして2月に公立高校の受験がある。私立→公立の順はどこの自治体でも似たようなものだろう。
長ければ、1ヵ月半。いや、長くても1ヶ月半。いつか終わりはやってくる。そう、「終わり」があるから、「終わり」と言う言葉が存在する。
現在中3の生徒たちを私が初めて受け持ったのは、彼らが小6のころ。もう4年も前だ。
まだまだ幼い、と思っていたら、少しずつ成長し、反抗期を迎えては私とぶつかるときもあり、いよいよ入試を自分ごとと思って目つきが真剣になった。大人になってしまってからの4年間より、ずっとずっと色の濃い4年間だ。
僕は入試をそんなに重いものと伝えたくはない。だって、だいたいのみんなが通る道で、受験で死ぬことも無いからだ。
とはいえど、通過の仕方は大切だ。いわゆるプロセスだ。
同じ経験をするにしても、そこに向けての気の持ちようや、思い入れの強さ、努力、悔しさ、失敗、逆境の克服…。目的地は同じでも、どういう道を歩んだかで人間性の厚みが出てくる。多感な今だからこそ、感じ取ることで将来に生かされることもある。
悩むべきことに頭を悩ませ、実力を発揮すべき時に発揮させる。
教育に携わる大人の役割というのは、子どもたちの喜怒哀楽を適切に与えてあげることなのだろう。予測できることは前もって先回り、しかし、主人公は生徒たち。そんな演出もしながら、かならず黒子(いい意味でね)として生徒たちの感情をコントロールし、近くにいないようで、いつも近くにいる存在でいるべし。書いていながら、なかなか難しい職業に就いたものだと思う。
とはいえ、現場では必死である。走り回ってなんぼ、そんな考えが僕の塾にはある。ベテランとか若手とか言う肩書は子どもたちには通用しないから、鍛練してきた努力が正当に評価されると思うと、それは私が子どもと一緒に働きたいと願った理由の一つにも感じられる。大学を卒業して、なんだかんだここまでいろいろ経験してきたが、それはそれでよかった。
正直、どの企業に入ろうが、いくら稼ごうが、結婚しようがしまいが、そんなものはどうでもいい。単なるステータスに過ぎない。
ただ、確かに言えるのは、「人生と言う道を、どれだけ後悔なく歩んだか」。喜怒哀楽をどれだけ目いっぱい使ったか。どれだけ必死に生きたか、どれだけ自分の生を全うしようとしたか。そういうところが大切だと思う。
そう、目的地はどこでもいい。そこに至るまでにどういう道を歩んだか。どういう道をつくってきたか。それは「受験」も一緒。受験だって、目的地の具体例に他ならない。そこに向かう上で、自分は何をしたか、誰と関わったか、何を思うのか、残ったものは何か、この先になにがつながるのか。
そういったものを感じ取ってもらえれば、と思っている。
いよいよ入試。自分の力を各学校に見せつけてこれるように願っている。
短い「受験」という期間を、色濃く必死に生きてほしい。