ルワンダのジェノサイドについて

4月7日は、1994年にルワンダで起こったジェノサイドについて国際的に考える日らしい。

そこに関して、なんとなく見ていたFacebookで、ルワンダのジェノサイド、ロメオ・ダレールについての記事を読んだので、忘れないように書き留めておこうと思う。

http://www.co-media.jp/article/13135
http://www.huffingtonpost.jp/kanta-hara/genocide-at-rwanda_b_9631238.html

1994年、ルワンダでフツ族によるツチ族と穏健派フツ族への大虐殺が起こった。ロメオ・ダレールは、その時のPKOミッションの司令官である。

ルワンダ内戦では、100日間で80万人もの方がなくなった。死亡率で言えば、第二次世界大戦中のホロコーストよりも死亡率が高いという。この問題に対して、国際社会は何もできなかった。ロメオ・ダレールは、事件勃発以前にフツ族の動向を把握していたが、内政干渉になるため行動を起こせなかった。アメリカはソマリア内戦への軍事介入とそこでの米兵の死亡により、軍事介入に消極的になっていた。アフリカの資源の乏しい小国に対し、安全保障理事会は積極的にアクションをとろうとはしなかった。事件勃発後、平和維持部隊は隊員の危険を考慮し、2500名から300名まで減らされた。さらに言えば、事件が認知された後もジェノサイドという言葉は国連で使われなかった。なぜならそれを認めると、国際条約上、軍事介入をしなければならない国が出てくるからである。

実際に現地でフツ族が迫って来て、最後の頼み綱であった平和維持隊の人々が去っていった時、ツチ族の人たちは何を感じたのだろう。当時の、その人々の状況を想像するだけでも、胸が強く締め付けられる。

あれから世界は少しでも、より良くなったのだろうか。私たちはここから何かを学び、今に活かせているのだろうか。次に同じ事件が起きそうになった時、私たちはどのように行動できるのだろうか。

そして、私には何ができるのか。


話は変わるが、4月7日の京大の入学式にて、総長がボブ・ディランのBlowin in The Windの歌詞から言葉を引用をしていた。その中に印象的なフレーズがあった。

”How many ears must one man have before he can hear people cry?”
”How many deaths will it take till he knows that too many people have died?”
(人々の悲しみを聞くために、人はいったいどれだけの耳を持たねばならないの?)
(あまりにも多くの人が死んだと気づくまで、どれだけの死が必要なの?)

きっと私が行動し始めなければならないのは「今」で、しかし何かをするにも何も知らず、自分自身にとても無力さを感じる。

現在、私は就職活動中だが、私がしようとしていることは、本当に世界に役に立つのだろうか。

まだ自分に何ができるのか全くわからないが、世界に対して何ができるのかは考え続けようと思う。そしたら何かが見えてくるかもしれない。

なんとなく、今日はそんなことを考えていた。

こうした人々がいることを忘れず、明日も精一杯生きる。


#ブログ #ルワンダ#ジェノサイド#平和



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