科学技術の発展とか、人の幸せについて考えること

最近、よく考えることがある。

それは人の幸せと社会問題などの繋がりについて。

僕は今まで貧困問題や格差社会に焦点を当てて勉強してきた。

なぜなら経済的な理由から、やりたいことに挑戦できない人がいるのは、僕にとってとても悲しく、もっと多くの人が可能性を広げて、自分自身の夢や目標に向かえると、より多くの人が幸せに暮らせるのじゃないかなと思っているからだ。

もし、絶対的な貧困をなくすことができれば、きっと人々は豊かな生活と共に幸せな生活が送れるようになると考えているし、相対的な貧困をある程度まで縮小し、多くの人が経済的にそこそこの余裕を持てれば、移民排斥運動やブロック主義的傾向なども起こらないのではないかと考えていた。

しかし、最近人の幸せが結局内面的なものであると考えると、それって意味のあることなのかなと考えてしまう。

同じ経済状態で、同じ環境にいる人でも、物事の捉え方によって幸せに感じるかどうかは、全然変わってくるのだと思う。

それならば、人が幸せに生きるために必要なのは、そうした外部的な影響よりも、内面的な変化なのかもしれない。


科学技術の発展は人の生活を豊かにするけれども、それが人の幸せに寄与するとは限らない。

現在の途上国の現状を考えた時、途上国は経済発展を続け、物質的に豊かな生活を手に入れることができる。そしてその行き着く先は、現在の先進国のような状態なのだと思う。

では、今の先進国に住む人々は幸せに暮らせているのだろうか。

僕はよくわからない。

僕の周りの人々は、色々と悩むことがあっても、前向きに頑張っていて、幸せそうな人が多い印象がある。

けれども一方で、ニュースでは様々な事件が起こり、現状に不満や不安を抱えている人も多いのかなと感じる。

でも、もしかしたらそのニュースも、世界のほんの一部の小さな部分だけを切り取って、本当にある世界の全体像を歪めているのかもしれない。

私達が目指すべき場所と、そのために取り組むべき問題とは、どんなものなのか。


物質的に豊かになった国々は、その科学技術の発展の先に何を見ているのだろう。

科学技術の発展や、それによる社会問題の解決は人々を本当に幸せにするだろうか。

より多くの幸せとは、どの生物にとっての、どのような状態か。

また各自が思う幸せのために、他者に変化をもたらしていくことは善であると言えるのか。


全くまとまりのない文章になりました。

何か考えがあれば教えてください。

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