弱い者たちが夕暮れ、さらに弱いものを叩く
すいません。僕のこのブログで
取り上げたナイナイの岡村さんを批判してたこの藤田孝典さんて方、今度は自分がバッシングにあってるみたいですね(^_^;)
いやいや違うでしょ?って思うんです。確かにぼくもわざわざブログに書くほどこの方の発言に違和感を感じたのですが、そこでまたこの人をバッシングしても結局この人と同じ事になってしまう。誰かがした失言やミスを叩いた誰かがさらに叩かれる。もうわけわからない。こんなの見てたってなにも楽しくない。
今は他人の事、叩いてる場合じゃないでしょ?
みんな必死で生きていますよ。なんとこの事態を乗り切ろうと。その為の選択に間違いがありますか?今は自分が正しいと思った道を精一杯生きるしかない。大切な誰かの為、会社の社員の為、世の中の人の為、そんな中誰かを責めてる暇ありません。どうしても受け入れられない考えを持った人だっています。でも今はその人とかかわっている時じゃない。誰かを叩くエネルギーをどこか違う方向に向けましょうね。
今日僕は不動産の売却のご相談を頂いている物件の調査で川越市役所に行ってきました。僕もこのコロナの影響で売上の減少と、先行きへの不安を抱える一人の人間です。「こんな時にいつもと変わらぬ収入を得られる公務員て良いなあ~」って思ってしまいます。でも今日市役所に行ってみて、次から次へと窓口に押し寄せる市民の波、時間内そのすべてを対応しなくてはいけない。どれほどの感染のリスクと不安の中、日々の仕事をしているんだろう?と気の毒に感じました。
だからね。相手の心中も実情も事情も知らず、上っ面のその人の行為だけ見て妬んだり、批判したりするべきじゃないと思うんですよね。ある人から見ていい事をしていると思ったとしても、とある人から見れば嫌悪感を感じさせるんです。これはほぼすべての物事に対して言えますよね。
仕事なくなって困った後輩にお金貸してる先輩の姿にケチつける人もいるみたいです。こんなの全く自分に関係の無い話で、ただただ「偉いなぁ」って話じゃないんですか?でも違うと思う人がいるから批判が出るんでしょうね。まぁこんなことが出来る人が、顔も名前も知らない人の批判にまともに影響されるとは思えませんが。
僕のアンチ巨人だってそうです。
僕のアンチ巨人は地元の友人の中では有名な話で、僕がこんな事を言っているのを聞いたら友達は驚くでしょう。このお方も、僕ら世代のTHEジャイアンツですよ。爽やかで、ハンサムで、熱い。僕らアンチ巨人の批判の的でしょうね。いつもは。それでも今はこの方が言っていることは正しい。細かい事をがたがた言わず開幕まで我慢して、大いに野球を楽しもうと言った所。この意見に対して反論の余地がありません。
大事の前の小事。コロナの感染に人類が打ち勝つことの前に僕のアンチ巨人なんてどうでもいい事なんですよ。人のやる事なす事、いちいち過剰に反応していないで、相手の立場や、環境も慮り、何かそこに失敗があったとしても真摯に反省の意を示しているのであれば、それを受け入れ一緒にコロナと戦う道を探しましょう。
日本人はこの程度の国難には負けませんよ^^困難と戦ってきた歴史が違いますから^^
今日も最後まで読んでくださってありがとうございました^^
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