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民衆の善とハズレくじリーダー。

古代ギリシャから、現代に至るまで、「善」についてのテーマは永遠である。

普遍的であるが故にその議論は尽きる事が無い。

人々が良い事をしようとした時、
それは利他主義によるものだと思う。

人は自分のその利他主義を疑って止まない。

しかし、その利他主義から悪なる物が生まれる事もある。というか、ほぼそれだ。

人は善い行動をしようとはするのだが、
その行動が善かどうかの吟味はあまり考えない。

そこが問題なのだ。
カントは定言命法によって、自分が善いと思う事をするべきと言ったが、その人間が善い事が間違いである可能性がある事についてあまり言及していない。

定言命法とは、カント倫理学における根本的な原理であり、無条件に「~せよ」と命じる絶対的命法である。定言的命令とも言う。『人倫の形而上学の基礎づけ』 において提出され、『実践理性批判』において理論的な位置づけが若干修正された。
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定言命法をものすごく簡単に説明するなら、
自分の欲望に負けず、「理性によって、自分が無条件に善いと思った事」を実際に行動する事だ。

つまり理性を持てば、
人は必ず善い事をすると考えたが、

その理性に基づく思考というものについて、
あまり言及しなかった。

無条件に善い事を、必ず行動によってすると、信じきっているお人好しなのかもしれない。

もしくは、様々な人々は、
カントのように賢く無い、という事を彼は見落としていたのかもしれない。 

その点によって優生的個体(リーダー)に求められる資質とは、より複雑になり、それによって得られるリターンは小さくなるのだ。

そんなハズレくじを一体誰が引きたがるのか。
そして、そのハズレくじを敢えてひく度量、知恵、カリスマ性は、他の問題をまた出現させる。
独裁者である。
無責任な衆愚政がはばをきかせ、問題に直面し、その圧力によって独裁者や悪政を生む。


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