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ソクラテス(プラトン)の青年愛の定式。

ソクラテス紀元前470-399年は「知を愛する」と共に「青年を愛した」哲学者である。
彼からすれば、「知を愛する」事と、「美しい青年を愛する事」は同義語であり、イコールなわけである。
その見事な定式は弟子のプラトンの著作である「パイドロス」によって垣間見る事ができる。

『パイドロス』は、プラトンの中期対話篇の1つであり、そこに登場する人物の名称。副題は「恋について」など。
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タイトルと、引用にもあるように、この著作は恋愛ものだ。
恋愛ものといっても今でいうソフトな「BLもの?」である。
アテナイの哲学者、ソクラテスが、美しい青年である「パイドロス」と対話を繰り広げ、
恋とは?について語る対話方式の作品である。
この作品を読み進めると、ソクラテスが青年好きの単なる色ボケ老人では無いように思えてくる。
まあ、青年を手に入れるための屁理屈こねくり回し本といえばそれまでかもしれないが。

パイドロスが、リュシアスという弁論家から「恋について」の考えを教授され、それをソクラテスに吟味してもらうというのが、この物語の始まりだ。
まあ恐れずに言うなら、絶対上手くいく恋愛関係をリュシアスからパイドロスが聞いて、それにたいしてソクラテスがツッコミを入れるような感じだ。

恋愛は、"自分に恋していない者に対して身を捧げるのが上手くいく"

ざっくりリュシアスの恋愛観を説明するとこうだ。なんとも煮えきれない主張だ。
理由としては以下があげられる。

  • 自分に恋をしていない人間がなら、嫉妬に駆られる事もないから、安心できる。

  • 自分に対して恋をしていないなら、別れた後でも、「あーしてやった」とか、「金を使ってやった」とか言わない。

  • 落着きを持って対象するから、激情や狂気にに陥る事もない。

現代風に言うならば、「余裕のある男」とも解釈する事もできるだろうし、「度量がある」とも解釈できる。
しかし、なんだろう、こいつなんと無く「俺興味無い」けどー「お前がいんならいいよ」的ななんとも究極のナルシズムなるものを感じるのは僕だけだろうか?なんか、こう、やれやれ系主人公的な?
それに対して、ソクラテスの恋愛観はある意味対置的である。

  • 恋愛は快楽や欲望から生まれるもの。

  • 美しい青年は最高!!

  • 恋愛はより狂気的であれ。

清々しいくらいの色ボケジジイである。
しかし、彼の恋愛観は、お得意の哲学でなんとも納得させられるように誘導させられてしまう。
恋愛は快楽や欲望から生まれるものと言ってしまったが、そこからどう弁明するのかソクラテス、、

イデア(観念)と想起(アナムネーシス)

哲学をかじったものならきいたことくらいはあるだろう。「イデア」簡単にいうと、その物がもつ本質的なもの。
よく三角形に例えられる。
三角形を我々が三角形と認識できるのは、背後世界に存在している三角形のイデアを認識しているからであり、
正三角形であれ、二等辺三角形であれ三角形お共通認識できるのは、その三角形のモチーフである三角形のイデアを元に作られているからである。
僕たちが何故そのイデアを共通認識できるかというと、それを生まれる前に見ており、生まれるとそのイデアを一度忘れてしまう。
しかし、そのイデアをもつ物をみると、「なーんか見た事」あるなあとなる。
それがイデアの想起(アナムネーシス)である。
そのイデアをより多く想起する事ができるものは、哲人王になれるらしいです。
イデアは目で見る事はできないが、「知覚」によって観察する事ができる。
まあ、=頭のいいヤツは天国いけっから死ぬまでに使っとけやーみたいな感じですかね。
例えば、職人家具を作る時に、より良い家具をつくろうとするその姿勢は、生まれる前にみたイデアを思いだそうとしているかららしい。

エイドス(形相)とイデア(観念)

ソクラテスおよびプラトンによれば、エイドス(形相)はイデアによって想起される。
エイドス(形相)はイデア(観念)を認知するための重要事項である。
まあ見た目とかそんなとこで解釈してもいいと思う。
で、我らが色ボケジジイソクラテスの青年愛を弁明するには、そのエイドス(形相)とイデア(観念)の関係が役に立つ。
定式はこうだ。
形相→美を認識する→イデア想起→天国へ近づいたねやったー!!
自分が青年を美しいと思うということは、それは「知覚されるイデアの認識」であり、そのイデアをモチーフに形相が作られる。
ソクラテス及びプラトンが言うところ、美しいものを見て美しいとおもうのは、イデアの想起によるところらしい。
そして、思いだしてほしいのが、イデアは「知覚でのみ認識可能」ということだ。
イデアは決して目で見る事はできないけど、現実に存在するものはそれをモチーフにして形相として現れる。
美しいと感じたもの、つまり美しい青年を愛でる事は、イデアを知覚するのと同等である!!
と些か乱暴な持論で青年パイドロスを口説くのだ。
皆さんももし、意中の相手がいるのなら、このイデア恋愛論を使ってみては?
僕?絶対使わない。

思考のショートカットをすれば、
美しい青年を愛する事=知を愛すること(フィロソフィー)なのだ。
「先天的欲望」肉体的欲望であればより「さらに先天的欲望」が恋愛だ。美しい青年(形相)をみて、そこに美のイデアを想起し、恋をするならば、それは知を愛する事であり、善行となる。
ソクラテスからすれば、青年をゲットできるし、天国に行けるかもしれないし、一石二鳥だ。

魂の三分説

理性(ロゴス)、気概(テューモス)、欲望(エピュティーメア)もソクラテスの青年愛定式に必要な事項なので残しておく。
理性が馬を操る御者であるとすれば、「気概」が右手の馬→白く美しい賢い馬で、言葉だけでいう事を聞く。
「欲望」左手の馬→黒く醜い馬で、ムチで叩いてやっという事を聞く。
まあ、理性で気概と欲望をコントロールする事である。

ソクラテス及びプラトンの欲望の解釈について。

ソクラテスは快楽に見を委ねる事を肯定したが、あくまでも肉体的快楽について考察している。

肉体の快楽はいつも、不安や不満に裏付けられている。
例えば、空腹状態であれば、それは、不安の状態になっており、それを満たせば精神的な安定を獲られるように、肉体の欲望というのは、いつも不安や不満が先立っている。

しかし、それを先立った快楽が知恵の快楽であり、知を愛する事も欲望の一つだが、それは肉体的快楽のように、不安に裏付けされている欲望より上位互換の欲望と快楽である。
そして、それに対して狂気的に信仰する事が(フィロソフィー)であり、哲人への道なのらしい、、
恐るべき解釈だソクラテスよ。

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