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不惑のグラップラー

もうすぐ40歳が終わろうとしている。不惑、初老、そして男性は本厄。
充実した幸せな毎日の中、40歳終了直前に起きたちょっとした事件について自戒の念もこめて読んでいただく皆さんの参考までに書き留めておきます。

【不惑(ふわく)】とは↓
1 物の考え方などに迷いのないこと。
2 《「論語」為政の「四十にして惑わず」から》40歳のこと。

40歳は本当に色んなことがあった。海外にいた父が心筋梗塞で急死し、新卒から16年勤めた会社を退職。東京で一人暮らしを始め、仲間と会社を創業。たくさんの人や仕事に出会い、大変なこともたくさんあったが素敵な仲間や友人に恵まれ家族にもサポートがもらえて毎日が楽しく充実した1年だった。さながら夜叉猿との闘いに向けて修行し崖を駆け上がる刃牙少年のような気分だった。

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戸惑いもあったが色んなことがふっきれ、
”よっし、この感じ。”
とペースをつかみはじめていた頃ちょっとした事件が起きた。

11月18日(月)夕方、会社で打ち合わせ中にちょっと胸が苦しくなった。これ以前からたまにあって、水を一口飲むといつもすぐに治った。かるい「エコノミー症候群なんたら」のやつだと文字通り水に流していた。
だが、その日はグビグビどんだけ水を飲んでも治らない。。

”うーん、おかしい。とにかく今日は帰って寝よう。”
と、会社を出た。

駅まで歩いてるとなんだか尋常ではなく胸が苦しくて歩けなくなってきた。

”これはこのまま帰宅したらあかんやつやな。。”
と、一旦道端に座り込んだ。

救急病院を自分で検索し、電話をかけて状況を話した。19時過ぎだった。
病院の人曰く、
「心臓ぽいからタクシーに乗ってはいけない。タクシーに乗っている間に何かあったら対処できないので、救急車を呼んでください。」と言われた。

救急車なんか呼んだことない。。苦しい胸をさらにドキドキさせながら119に電話した。状況を話すと5-10分くらいでサイレンを鳴らしながら救急車が来た。残念ながら座り込んでいたのは表参道の交差点(みずほ銀行の前)。都内でも屈指のおしゃれスポットから救急車にフツーにスタスタと乗り込む。かなりの恥ずかしさだった(汗)

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救急車は六本木の心臓救急センターに到着した。胸が苦しく背中が痛い。痛いからベッドに寝ているのが辛い。心臓に効くと言われる「ニトロ」とやらを飲んでもまったくマシにならない。

食らったことはないが、刃牙の「剛体術正拳突き」↓をずっと食らっているような痛さ、重くてズシンと背中に響くやつだ。

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色々検査をしながら、原因を探る。どんどん心配になってきた。どうしても昨年心筋梗塞で急死した父のことが浮かぶ。ちなみに祖父も心筋梗塞で亡くなっている。心臓に難ありな家系なのだ。

検査の合間にベッドに横たわりながら、
”明日の朝のアポどーしよっかな。。”  と思った。
痛みで意識が飛んでしまう可能性があったので、意識があるうちにできるだけ冷静に同僚に状況を電話で伝えた(ビックリさせてごめんなさい) 。

そのあと家族に電話をした。

話しながら自然と涙が出てきた。それくらい不安で、いい歳して情けないが怖かった。

”俺はいつ死んでもいいんや、後悔しないように生きてるねん。”
と、カッコつけて飲みながら後輩に語っていた自分のところにタイムマシンで戻って、
”嘘つけ!”と烈海王の「転蓮華(てんれんげ)」↓をかましてやりたい。
死?に直面した自分の中は、まだまだやりたいことや後悔ばかりだった。 

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数時間の検査の結果、「心臓には問題がないこと」が分かった。

"えっ!?じゃあなんなん?この痛み。。" 


そこの病院では心臓以外の検査ができないため、明朝別の病院に行って検査してみてということになった。痛み止めを点滴してもらったが全く効かない。

"なんなんだこの痛さは、、涙。" 

胸と背中が痛いため、まっすぐ寝れない。色々マシな体勢を一晩中検討した結果、このポーズ「刃牙戦の前にウォームアップする烈海王氏」↓が一番マシなことが分かった。
このポーズを発見し、おそらく10分くらい寝た(意識を失ったに近い)。

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一夜あけてタクシーで総合病院に。ここからなんと約7時間痛み止めももらえず痛みをかかえながら検査から検査へ。しかも昨日の昼から何も食べていない飲んでない。とても歩けないので車椅子を借りて車椅子で検査へ。検査の合間はマナーが悪いが背に腹は変えれずソファーで寝転び、一瞬意識を失い、また起こされて車椅子で検査へ。

”つか検査1回にまとめてくれよ、、むしろ検査で死んじゃうよ。。” 
とベソをかきながらもまあ耐えた。

そしてようやく、「急性胆嚢炎」であることが分かった。胆嚢に巨大な胆石が詰まり、炎症を起こして超膨れ上がっている。それが胸全体を圧迫していることで胸が苦しいのだ、とのこと。

「このままだと危ないので、すぐ胆嚢ごと取っちゃいましょう」と言われ、

"もうなんでもいいからやってくれ、、むしろ今死んだ方が痛いより楽だ。。"  

苦痛が限界に来ていたので先生に任せた。緊急手術と入院である。
先生を「鎬紅葉先生」↓だと信じ手術を迎えた。全身麻酔でやっと久しぶりに眠れて幸せだった。

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さすが鎬先生。無事に胆嚢と胆石が2時間ほどの手術で摘出された。手術台の上で手術後にバシバシたたかれて起こされた。

”せっかく久しぶりに気持ちよく寝てたのに!刃牙くんのバカァ!”
と梢ちゃん風に目覚めたのも束の間その場で摘出したての胆嚢を見せられた。

"デカすぎてビックリ!そら胸苦しいわ!"
と突っ込みながら手術は終了した。考えたら手術なんて4歳の頃に手を怪我して以来だ。ちなみにちょっとグロいが摘出した「巨大胆石」はこれ↓。
烈海王氏が打岩した「黒曜石」↓のごとし。 こんなデカい立派な石が二つもあった俺の身体ってなんなんだ。。と少し笑けた。原因がわかり、少し気が楽になった。過去たまにあった体調不良も全部こいつのせいだったんじゃねえか?と思った。

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そこから4日入院した。術後の痛みに耐えながら歩く練習をしたりお粥から少しずつ食事を始めたり。人生始めての入院。電動ベッドの角度をミリ単位で調整したり尿瓶(しびん)を巧みに使いこなせるようになったりと、普段では身につかない多様なスキルが身についた。老後入院しても困ることはないだろう。

日に日に回復し、鎬先生にも励まされながら月並みだが健康のありがたみを心の底から実感した。不在中に仕事をカバーしてひたすら励ましてくれる仲間の愛、友人やあたたかい家族に囲まれている幸せ。
全て感じられるのも健康な身体があってこそ、生きていればこそだ。

思えば40年間ただただ弱音を吐かずに「頑張って」きた。
頑張って頑張って勉強して仕事して、遊んで、好きなものを好きなだけ食べて、好きなだけ酒を飲んで、また頑張る。
辛いことも悲しいことも嫌なことも沢山あっても、ただできるだけ頑張る。頑張れば、克服できるし解決できるし辛いことも忘れられる。

そんな自分の「ただ頑張る生き方」に誇りを持っていたし、気に入っていた。強者(つわもの)との闘いのみを欲し続ける「範馬勇次郎」↓のごとく自分の生き方を肯定していた。でも、身体には少しずつガタが出ていたようだ。

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頑張ることは、とても大切だ。それはこれからも変わらない。
人は、感動するために生きている。頑張って生きて生きて生きぬいた先に、感動がある。
ただ、グラップラー(闘技者)としてのステージに適した「頑張り方」=「闘い方」を見つけていかなくてはいけないのだ。そんな当たり前のことがこの歳までよくわかっていなかったことに気づいた。

範馬刃牙には範馬刃牙の、渋川剛気先生には渋川剛気先生の「闘い方」があるのだ。

巨大胆石とともに、少し肩の力が抜けた自分がいる。
無理はせず生きていられる「今」をしっかり噛み締め、みんなに感謝する。愚地独歩館長↓まではいかないが少し悟りが開けた気がする。

みんな本当にアリガトウ
。神様、仏様、御先祖様、生かしてくれてアリガトウ。胆石くらいでやや大袈裟だが良い機会だ。皆に感謝して、明日からも頑張って自分らしい「闘い方」をしよう

俺・・・もっと強くなります。

もうすぐ41歳、しばらくはもう惑わない

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PS: 「不惑」を祈念したプレイリストを作りました。少し肩の力を抜いて頑張る時に聞きたい曲を集めました。良かったらどうぞー。


また生きていること、周りの全ての人やご縁に感謝を込めて。

2019年12月1日(40歳最後の日に)

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