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叱咤こそ優しさ<133/1000>

【ラジオ体操438日目】
『ニコチンレス生活159日目』

こんにちは。
社会人になって、”新人”である時期を超えると、誰かに叱られるということがなくなるので、たまには叱ってほしいと思うコマリストです。


今日は『本当に貴重なのは叱ってくれる存在』というテーマで書いていきたいと思います。


皆さんは、最近誰かに叱られたという記憶があるでしょうか?


社会人になって、後輩がいるような立場になると、誰かに叱られるということが極端に減りますよね。


もちろん、仕事を覚えて責任を持って仕事をこなせるようになったから叱られなくなったということもあると思います。


何をすると叱られるのかを学んで、それをうまく躱せるようになったから叱られなくなったということもあると思います。


こんな状態になると、誰かに叱られたり、指摘を受けたりすると素直に受け入れられないという人も多いんじゃないでしょうか。
#私のことです
#素直になりたい


今日は誰かに叱ってもらえるという環境がどれだけ恵まれているのかということに早く気付いた人ほど幸せなんじゃないかというお話です。


もしかしたら、口うるさい上司の言葉をありがたいと思えるようになるかもしれませんよ。

誰か私を叱って

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社会人になってから、最初の数年間はいろんな方に迷惑をかけて、諸先輩方から指導という名の叱咤、叱責を受けます。


特に私の場合は「やってみないと分からない精神」で、やったことが無いことだからこそやってみるというスタイルで仕事をしてきたので、人よりもたくさん叱られたと思います。


そんな社会人生活を過ごし、30歳を超えた頃に独立を果たしました。


独立すると、当然ですが誰かに叱られるということも無ければ、褒められるということもありません。
#良くも悪くも


自分で自分を褒めるしかないし、自分を客観的に見ながら、自分で自分を奮い立たせるしかない。


とはいえ、私は基本的に働きたくないし、隙を見てサボるという典型的なダメ人間なので、叱ってくれる誰かの存在が必要なのです。
#自慢できることではない


ということで、独立して立ち上げた会社で、共同代表を務めたIさんとの間で、「お互いの欠点を指摘しあう協定」を結び、自分のことは置いておいて、相手の悪い部分や改善点を指摘しあうようにしました。


社会人になって数年が経過し、会社で叱られることがほとんどなくなっていた状態から独立しているので、相手から指摘を受けるというのは久々のこと。


やってみると分かりますが、分かっていても相手からの指摘に反論したくなってしまいます。


そんな気持ちを抑えながら、相手からの指摘を受け入れて、相手にも指摘をして、会社そのものをより良くしようと努力していました。


そんな努力も虚しく、設立して2期が終わろうとするタイミングで、メンバー間の価値観のズレによって解散を余儀なくされます。


幸いにもメンバーの誰一人として借金を抱えることはなく、会社にキャッシュが残ったままの解散となったため、0からのスタートは切りやすかったわけですが、「私に指摘してくれる存在」を失いました。


0からのスタートを切ってから2年。
何とかご飯を食べていける程度の収入を得られていますが、この2年間は誰にも叱られたことがありません。


どちらかと言えばドS気質の私ですが、意図的に「指摘してくれる存在」を身近に置いていた環境が無くなると、本当にこれでいいのかという不安に襲われる。


誰か私を叱ってくれないですかね笑

本当の優しさ

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さて、誰かに叱ってほしいという若干変態のような私の要望を書いたところで、「叱る」ということについて考えてみます。


皆さんもご存じの通り、社会人生活では、色んな価値観の人が協働しているので理不尽なことが日常的に発生します。


そんな理不尽に一つ一つ目くじらを立てていたら、自分の仕事が前に進まなくなる。


これに気づいた人から順に、疑問を感じたことに反応するのをやめ、妥協することを覚え、組織に順応していく。
#これって楽しいのかな


これがなかなか出来ない私のようなタイプの人は、「社会不適合者」として扱われて、サラリーマンとして出世する道から除外される。


コマリスト個人のキャリアだけを考えれば、価値観が合わない会社で昇進することに1ミリも魅力を感じないので、問題はありません。


ただ、中には理不尽に立ち向かいながら、妥協することなく昇進していった強者が存在します。
#私にはできなかった
#尊敬します


そんな人が上司になったら、めちゃめちゃラッキーだし、その人から吸収できることは全て学んだ方が良いとすら思う。


こういった方は、周りに合わせて上手くやる処世術ではなく、自らの意志を貫いて周囲を巻き込む力を持っていることが多いから。


そして、こういった方が役職者となった時、多くの場合が「よく怒る上司」として社内で有名になっていたりします。


それもそのはず。
みんなで仲良く仕事をするとか、会社のルールだからしょうがないみたいな考えではなく、自分の考えをしっかり持ったまま昇進した人なんだから。


そして、この「よく怒る上司」こそ、本当に優しい上司だと思います。


ダメなことだと分かっていても、改善が必要だと分かっていても、誰かにそのことを指摘するというのは多くのエネルギーと勇気を必要とします。


ほとんどの人がそのエネルギーと勇気を持ち合わせていないので、「あとやっておくから大丈夫だよ」みたいな”一見優しいようにみえてしまう”声かけをする。


けれど、こんな声掛けをして、修正や改善を上司自身の手でこなしてしまったら、部下の成長はありません。


自分でやった方が早いと思っても、勇気をもって、エネルギーを使って部下自身に修正や改善を任せる。


で、何かあった時には、部下を守る。


これこそが本当の意味で優しい上司であり、社会人であり、人間だと思う。


そんな上司を「よく怒る上司」という言葉で片づけて、関わりを持たないように避けることが自分にとってどれだけ損失であるのか、早く気付いた方が良いと思う。


私自身のキャリアの中で、1人だけこういう上司がいました。


例に漏れず、自分にも他人にも厳しいので、敵が多くて自分自身で昇進のチャンスを逃しているようにも見えました。


当時は、「そんなに怒らなかったら上に上がれるのにもったいない」という目で見ていましたが、それでは意味がなかったんだなということが今なら分かります。


誰かを叱る。
叱る側の立場になれば分かりますが、本当に怖いです。


言えば嫌われるかもしれないし、つらい思いをさせてしまうかもしれないというプレッシャーが常に押し寄せてきます。


そんなプレッシャーと戦いながら、部下や他人の成長を心から願う素敵な人に私はなりたいし、そんな人が報われてほしいと強く願っています。


本当に優しい言葉とは、
目の前の対処ではなく、将来的な成長まで考えた「叱咤の言葉」である。


もしも身近に叱ってくれる存在がいたら、大切にして下さい。

じゃ、またね!

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