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ワタシの文章


このあいだ「売れない小説家みたい」と言われてしまったので、note書くのちょっとためらってたんだけど、ここらで「文章」について考えることでまた再開させてみるか…という試み。

木村です。

いや、難しいのよ、文章書くのって。
良い文章って、書いた人の"その人っぽさ"がちゃんと宿ってるから凄い。そういう意味でいうと、多分私の書く文章って、宿どれてないんですよ。お世辞ながらに「良い文章書くね」と言われることがあるけど、多分それは字面が良いだけで、私じゃなくても書けてしまうなぁと思うんです。だから今回は、いつもの丁寧な感じからは脱して、なるべく口語に近い文体で行くことにします。

で、ここで一つ、文章書く上で常に問題になる一人称についてを考えてみました。

普段、話すときには「俺」を使っているのに、文章になると「私」になる。これはかなりの嘘が混じってることになると思っていて、印象がまるで違う。でも、改めて文章で読むときに「俺」って使うとなんかイヤだな、と思ってしまうのも本当だから、どうしようかなって一生迷っている。

そこで、カタカタで「ワタシ」とかどうでしょうか。結構イケる気がしている。周りとの差別化もできるし、なんというか普段の気を衒いたがってるワタシのイメージとそう乖離していないのでは?という感じで。

(周りとの差別化を狙っていることがすでに普段の気を衒っていることの地続き、っていうね)

一人称はとりあえずワタシをしばらく使ってみるとして(大学のレポートでもバジバシ使ってみよう)、「良い文章」の解像度をもう少し上げてみます。

「良い文章」は、さっきも書いたとおり、なんとなく書いている人の"その人っぽさ"伝わってくる、そして、なんと言っても"読んでいて面白い"、これに尽きるんじゃないかとな思う。書いてある内容が面白い、も重要だけどそれとは区別した上で、読んでいて面白い文章。言葉遊び、使い的な意味での面白い。

本当に色々な切り口があると思うんだけど、ワタシは特に「転用」を意識してます。

以前友人と「天元突破グレンラガン」というアニメについて話したときに、

「このアニメ、天地返し的なことはないの?」

と聞きました。「天地返し」って、いわゆる二郎系のラーメンを食べるときに下にある麺を盛り上がった野菜の上に持ってくるテクニックなんだけど、ここでは、"物語の根幹からひっくり返ってしまう様な展開"を意味するつもりで使ってみた。これが今でも覚えてるくらいに心に残っている。

つまり、通常は全く異なる場面において使われる言葉を表面的な意味だけ抽出して、別の場面に輸入する、言葉に対して新しい活路を開く、といった具合。

そもそもこの天地返し、元は農業用語で、耕地の深層を掘り返して表層と入れ替えることを指す言葉だそう。それを二郎系ラーメンの食べ方に転用したものらしいから、ワタシのは転用に転用を重ねちゃってるんだけど、つまりはそういうこと。

「寒い」なんかも「うわ、あいつのやってることサムいわ…」とかで転用されてるし、「溢す」も液体に限らず「思わず、言葉を溢した」と使われてる感じ、良いよね。

(つまりは暗喩っぽいけど)

このことを表すときに、あの言葉持ってくるんだ…という感心が、読んでいて面白い文章に繋がってくるはずだし、できるようになりたいな。

あとは、「言い換え」も使いこなしていきたい。つい最近思わず声が出た表現は、長い間正座した後に足が痺れることを「足が炭酸になっちゃった」という言い換え。ワタシも使いたい、。

(「言い換え」って表現はあんまりしっくりきてないけど、とりあえずニュアンスが伝われば。なんというか、大喜利的な、慣用句的な、ノリです。)

この炭酸の言い換えは、アフター6ジャンクション2の「またの名は。」というコーナーで紹介されてたやつです、これオモチロイので是非。


でも今まで書いた「転用」も「言い換え」も読んでいて面白くはなりそうだけど、結局はアイディアに依るから、これだけでは"良い文章"にはなりきれない。(もちろんそのアイディアのユニークさにその人っぽさは出るのだけど。)

「転用」「言い換え」はテクニックとして欲しいけど、あくまでテクニック。"その人っぽさ"は、そんなテクニックも含んだ上でもっと多くの要素の上に滲み出てくるもので、例えば、物事に対する見方・考え方なんかはもちろんかなり重要だもんね。

どうせ書くなら良いものを、願わくば「この人の文章は良いよね」という信頼を得たい。最近はこんな感じ。👋

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