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自分を勇気づける。 ほめると勇気づけはどう違うの?(コーチング)

大切な勇気づけ

コーチングでは、クライアントさんを勇気づけしてセッションを終えることが多いです。
勇気づけの後、クライアントさんがスッキリした気分で未来へ向かう行動に移ることで、これから起こる色々なことに勇気を持って対応していくことができるようになります。

勇気づけは大切です。
でもこれ、他の人にはできるけど、自分に向けては難しいかなぁと思いませんか?

自分の勇気をくじく。

落ち込んでいて、どうしようもないときや、朝起きて仕事や学校に行きたくないと感じるとき。
あまりに忙しくて逃げ出したくなるときや、失敗が続いてしまったとき。
もうどうなってもいいかな、なんて投げやりな気持ちになったりすることないですか?
「なんであんなことしちゃったんだろう?」、「こんな気持ちじゃダメだよね……。」なんて反省したり。
反省してると、ネガティブなことを沢山たくさん考えて、うれしくない状態になっていきます。
こんなときは、きっと自分で自分の勇気くじきをしているんだと思います。

自分のことをほめてあげる

そんな時は、落ち込んでても沢山反省して、前を向いて歩こうとして ”頑張ってる『私』” を、自分で「頑張ったね。えらいね。」ってほめてあげたらいいのかな、と思っていました。

アドラーの心理学で、ほめることと勇気づけすることは違うんだということを知りました。

ほめるということは、縦の関係であるということです。
”頑張ってる『私』”と、それを”ほめてあげる『わたし』”が縦の関係にあるってことなのかな???

では、『私』は本当はなんと言ってもらうと嬉しいんだろう?
「よく頑張ったね。」
「えらいね。」
……かな。

ちょっと考えてみます。

これは、『わたし』が、自分で自分のやったことを憐れんで、かわいそうな『私』に、頑張ったことについて「良いね」と言っているんじゃないかな?

これって、自分のやったことを自分で「良い」or「悪い」と判断しているんだと思います。

そのこと自体が悪いことなのかな?
悪くなかったとしても、勇気が出るところまではいかない感じがします。

どんな言葉を『わたし』は、『私』にかけてあげるのがいいのかな。

自分を勇気づける

ほめると勇気づけるは、「違う」んだ。
例えば、「えらいね」、「すごいね」、「頑張ったね」という ”ほめる言葉” の代わりに、「ありがとうね」、「うれしいよ」という ”勇気づけ” の言葉を使ってみるとどうなるのかを考えてみました。
勇気のくじかれた『私』に、勇気づけの言葉をかけてみようという試みです。

落ち込んでても反省して、前を向いて歩こうとして ”頑張ってる『私』” へ、『わたし』の今思いつく、勇気づけの言葉をかけてみたいと思います。

わたしから、私への勇気づけ。
「前を向いて歩いてくれてるんだね。ありがとう。おかげで、少し元気が出てきて、うれしいよ。」

いま落ち込んでるわけではないですが、なんだか心が優しく包まれたような気がします。

ただ、落ち込んで反省して、前向きに動こうとしているという、普段とは違う状態の『私』の特別なときのもので、勇気づけとしては、きちんと機能していない感じがします。

いつもの、普通でいるときの『私』へ、どんな勇気づけができるでしょう?

勇気づけのタネ

普通の毎日の中で、どんな勇気づけができるでしょう?

元気で毎日仕事しているね。
こうしてnoteの記事を書いているね。
妻や娘、関わり合う人たちと仲良くできているね。
コーチングセッションをして、クライアントさんによろこんでもらえた。
喋りすぎて喉が痛いけれども、声が出ている。
大変なことが起きるけれども、元気でそのことに対応している。

たくさんうれしいこと、有難いことがあることがわかります。

誰かを傷つけたり、家庭を壊したり、変な事件を起こしたりしない限り、全てありがたいことだということなのかな。

今回は『私』への勇気づけのことを書いてきましたけれど、『あなた』への勇気づけも同じようなことなのかなと思っています。

普通の毎日の中に、勇気づけのタネがあるということですかね。

読んでくださって、「ありがとう」

では、また


参考文献
勇気づけの方法
 アドラー心理学を語る4 野田俊作 創元社
勇気はいかに回復されるのか
 アルフレッド・アドラー 岸見一郎 訳・注釈 アルテ
ライフデザインコーチ養成プログラムテキスト
 ブルーミング・コーチングスクール 川瀬朋子
人生を変える!「コーチング脳」のつくり方
 宮越大樹 ぱる出版





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