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キム・ジェウク三連投〜《彼女の私生活》

《コーヒープリンス1号店》で「初めまして」でした。

韓国ドラマ、韓国映画から離れていた間もずっと気になってた。

(画像はGoogle検索結果のスクリーンショットです。)

【オタク】でいいじゃないか 

有能なキュレーターであるパク・ミニョンはアイドルオタクであることを親友以外には隠して生きている。
たしかにレベルの高いオタク。

超高性能の撮影機材と脚立を抱えて、お目当てのアイドル チャ・シアン(チョン・ジェウォン)の行動を把握してベストショットをモノにする。
そしてファンによるファンのためのサイトを自ら運営して、その一瞬を共有する。
こうストーリーが展開していく。

世間一般ではどうやら【オタクであること】は隠すべきことなのらしい。
私自身、その辺りがちょっと分からない。

阪神エリアで生まれて育ったので、宝塚歌劇団の生徒のみなさまとそのファンのみなさまは、ごくごく当たり前に身近な存在だった。

中学の同級生のお姉さんがジェンヌさん、とか、別の同級生がスターさんの後援会(私設ファンクラブ)主催のお茶会に参加してきた話を休み時間に聞く、とか。(フツーの下町の公立中学校です。単に地理的なものです。)

その空気の中で『財力と時間に余裕が無ければ好きなスターさんの応援もできない』→『スターさんを全力で応援できる=羨むべきステータス』という刷り込みがなされてしまってる私。

そして、その感覚なので【大好きな対象(反社会的、反人権的なものでなく)がある】→【その大好きな対象を愛でて応援する】は《とても良いこと》だと思ってる。

その対象がアイドルでもジェンヌさんでも俳優さんでも声優さんでもダンサーでもミュージシャンでもスポーツ選手でもいいやん。

ただ、スポーツのファン、エリア的に例えば阪神タイガースの熱狂的ファンが甲子園のシーズンチケットを購入して主催試合全制覇するのはアリで、文化芸術系のファンを【オタク】と一括りに一段貶められるようなのが常々不満だった。

【好きなもの】【大切なもの】があるだけで、人間けっこう辛いことにも耐えられたりするものだ。
他人の好きなもの好きなことにイチャモンつけんな!とストーリーの中のことでも、実生活でも、心の中でツッコむのは許されると思ってる。

さて、キム・ジェウク 
近ごろは【絶対的ハンサム】という存在は違うらしい。多様性の時代だもの。それはそれでいいことだ。

でも私がこどもの頃、日本人なら『ジュリー(沢田研二)』で西洋人なら『アラン・ドロン』だった。

セクシー、とか、色気、という言葉は私が好きではないので、うーんどう言えば、、、そう【艶めいて】いた。
こどもの頃に刷り込まれた『絶対的ハンサム』の二人ともが、パーツがどう、ではなく【艶めいた存在感】を醸していた。

そして、私はキム・ジェウクに同じ種類の香りを感じてる。
ただ佇んでるだけで、ただ微笑むだけで、胸の奥の方のどこかがざわめく。そんな感覚。
声もちょっとハスキーで、耳に残る。

『作った』『鍛え上げた』のではない『生まれ持った』艶めき。

それって無敵やん!

シアン役のチョン・ジェウォンくんも「コミックスから3Dプリンターで出力した?」という顔立ち。
ステキです。

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