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【ショートショート】喫煙所での逢瀬

 なんでも先回りしてやってしまえる奴がいる。そいつは要領が良く、周りを良く見ていて、さらりといろんなことをやれてしまえて、いわゆる先見の明があるというやつなのか、彼が携われば大きなミスはまず起きない。そういう奴が現実にいる。晴香の隣にいるのはそういう男だった。名を、須藤椿という。こんな名前だが男である。

 今日も隣の席からは若い女子の声が聞こえてくる。須藤さん、昨日は本当にありがとうございました! いやいや、大したことしてないよ。無事に話がまとまって良かったね。はい、ありがとうございます! 椿が関わった相手は大体こうやってお礼を言いにやってくる。それは後輩だけに限らず、先輩に上司、時には会社の重役まで。仕事のできる奴なのだ。愛想も付き合いも良い性質なので誰に聞いても評判がいい。彼の悪口を言う奴がいるとしたら、彼を妬み、羨んでいる奴くらいだろう。晴香は聞き慣れたやり取りを聞き流しながら書類を仕上げた。営業先に持っていく、新商品のプレゼン資料だ。

「お、鳳、煙草か?」

 晴香が席を立つなり椿が言った。そ、と短く答えると、じゃあ俺も、と椿が立ち上がる。椿が喫煙者だと知ると驚く人は時々いる。誰あろう晴香も最初は驚いた。まぁまぁ、などと言いながら、慣れた様子で隣に立たれて内心ひっそり狼狽えたのは、やはりこの喫煙所でのことだった。

 ふー、と共に煙を吐き出す。煙が混ざり合い、霧散していく。ちょっとエロいよな、と毎度ながら思うのは、晴香がアホだからなのだろうか。

「鳳はどうだ? 先方に出す資料の準備は」
「万全。と言いたいとこだけど、どうだろうね。とりあえず最後までできたから確認作業。お手は煩わせずに済むと思うけど」
「なんだよ、少しは頼ってくれてもいいだろー」

 椿がちょっと子どもじみた声を出す。ちらと見やれば、彼は楽しそうににやにやと笑っていた。いつものことだ。ちょっとした軽口。こういう時、晴香は付き合うでもなく受け流す。

「万年大忙しな奴がよく言うよ。さっきも新人がお礼言いに来てただろ」
「まぁねー。やっぱ頼られると嬉しいし、俺ってば仕事のできる男だし?」
「はいはい」

 適当に流していたら、ずい、と距離を詰められた。こいつ……と思いつつ椿を見上げる。自信のある顔つきで、じっと晴香を見下ろしている。誰か入ってきたらどうする気だ。

「俺、欲しいと思ったものは全部手に入れる自信があったんだよな」
「そうですか」
「なぁ鳳、まだ俺と付き合おうって気にならない?」

 もう何度聞いたか分からない台詞。ゆえに、晴香の返答も変わらない。

「ならない」
「これっぽっちも?」
「同じこと何度も言わせるな」
「言わせてるのはそっちなんだけどなー」

 椿が少し距離を取った。いつもの愛想のいい優等生な顔はどこへやら、だ。晴香とふたりになると椿はこうなる。最初から謎にこの距離感だったので、晴香はてっきり、こいつは余所行きの顔と素の顔にギャップのある奴なんだなーと思っていた。それは実際そうなのだろうが、他の同期と話す様子を見ていても、こいつは余所行きの顔を崩さない。内心首を傾げていたら、ある日椿はこう言った。一目惚れなんだよね、と。晴香は目を点にした。美人でもなんでもない、いつも詰まらなさそうな顔をしていると親友にも突っ込まれる晴香相手に、一目惚れ? こいつは何をアホなことを言っているんだ。

「ま、そのうち絶対、俺のこと好きにさせてみせるから。攻略するのも楽しいんだよな」
「女はゲームじゃないですよ」
「勿論。ゲームみたいに簡単じゃないところがいい」

 あっそう、と素っ気なく告げる晴香に対し、椿は「じゃあ先に戻るから」とあっさり喫煙所を去っていった。するとすぐさま、上司のひとりに捕まるのが見えた。話が終わるまで待っていたのだろう。椿は既に優等生の顔に戻っていて、上司とふたり、足早にデスクへ向かっていく。

(あいつなら、女なんて選び放題だろうになー)

 女の趣味が悪すぎる、と晴香は煙を吐き出す。勿体ないだろ、と思ってしまう。あいつとお付き合いなんぞしてみろ、オフィス中の女子の嫉妬を買ってしまう。晴香はなんでも穏便に済ませたい性質だ。そんなの絶対に御免である。

 まぁ、実のところ、とっくにあいつのこと好きになってしまってはいるのだが。

 好きな女のポーカーフェイスも見抜けないとは、あいつの目も実は大したことないのかも知れない……などと思いながら、晴香はまたひとつ煙を吐き出す。ひとり分の煙は、そこに留まるでもなく呆気なく霧散していった。

12月27日/ヒイラギ
「先見性」

【誕生花の花言葉で即興SS】

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