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愛おしきほどに人が哀しさ



救ひなくやり切れぬのは

おのさが

愛おしきほどに人が哀しさ




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救いようもないのを知っているからこそ、

わたしがやり切れなく想うものとは、

日常生活や現状や、

ある出来事ある事柄に対してではなく、




人が皆、

己として在るがために内在させている、

さが というものなのです。



それは哀れなほどに、

悲しいものにわたしには映り、


時にそれは、

あまりの哀しさゆえに、

ひどく愛おしく感じられる程なのです..........





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セタールの哀調を帯びた曲は、

私の胸に震えるように迫ってきます。


セタールの曲に限らず、

名曲というものには  こころ があることを

最近わたしは知りました。


イランの民謡をピアノ、セタールで弾いていると、


(ピアノ曲とセタール曲は異なる曲ですが.....)

作曲者のどうしょうもないかなしみ、

わたしが感じてるものと同種のかなしみが、

旋律の中から浮かび上がって来て、

弾きながら涙が溢れて溢れて、

わたしはとどめようがなかったのです。








文学でも音楽でも絵画でも、


きっと同じことがいえるのでしょう.....


救いようもないものが救われるとしたら、

やり切れない想いに晴れ間がのぞく時があるとしたら、


時空を超えたメッセージに、

同じようにもがきながら 生 を全うした先人の想いに、

触れた時でしょうか.....


っとわたしは想うのです。

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