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徒然なるままに#9

本日は玉造稲荷神社についてかいてみる。

玉造稲荷神社は垂仁天皇18年(B.C.12年)の秋に創̪祠されたと伝えいられている。聖徳太子が仏教需要問題で物部守屋と争った際、玉造岡に陣を敷き、「我に勝を与えるならこの栗の白木の箸に枝葉を生じさせ給え」と祈願されたところ、のちに枝葉が生じ、この戦いも無事に終わったといわれている。

そもそも、玉造稲荷神社は難波の高台に位置しているが、この地域には古代には玉造岡とて玉造部に所属する曲玉作りの集団居住地であった。その為古く由緒正しい地である。むろん玉造の名の由来である。

また玉造稲荷神社は豊臣時代大坂城の三の丸に位置しており、敷地内には豊臣秀頼が生まれたときの淀殿の胎盤などが埋め立てられている。

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そして忘れてならないのが玉造稲荷神社が伊勢神宮への伊勢参宮本街道(お伊勢参り)の出発点であること。その距離はなんと170キロ(約43里)

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だが、江戸時代は街道、宿駅制度が整えられたこととにより、旅が身近になってはいたといってもまだまだ安全性は低かった。
(ぼったくりや飯盛女など)その為、旅籠の組合である「浪花組」…浪花講がつくられた。※これは現在の協定旅館・旅行社のルーツとなっている。

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古代から豊臣、江戸時代までの歴史が一度に見ることができるのが、玉造稲荷神社のおすすめなところである。

またゆっくり歩いてみよう。

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