Please Place Me➀最多リクエストスポット【中編】
ジョンとポールの家までの準備等についてのレポをまとめた【前編】はこちら。
いやいや、ここは【後編】からっしょ、という方はこちら。
【中編】は本題となるジョンの家潜入レポ!さっそく行ってみましょう。
9000字なっちゃった~どうしよ~長いよ~。
Mendips
到着
Speke Hallからバスで10分ほど…
着いたぞ!Mendipsこと、ジョンが幼少期を過ごしたミミおばさんの家です。住所は当時と変わらない251 Menlove Avenue。
到着と同時に家のガイドをしてくれるナショナルトラストの職員さんがハロー!ウェルカム!と登場。この日のガイドさんは40代くらいの男性で、ソツないガイドさばきが爽やかな印象の方でした。(イメージとしてドラマ「王様のレストラン」の時の白井晃)
家の正面には、著名人・偉人がここに居住していた歴建造物=English heritageであることを証明する由緒正しい青い円盤(ブループラーク)がついていますね。
ツアーの前にここで記念撮影タイムがあります。運転手のおじさんがカメラマン役を買って出てくれたので、私も10年ぶりに帰ってきた記念で玄関のドアの前で1枚撮ってもらいました。
この間にも、家の前にはあらゆるビートルズツアーのキャブやらバスやらが一時停車しては通り過ぎて行きました。車内から見るだけのツアー、下車するツアーなど形態は様々ですが、このゲートをくぐれるのはナショナルトラストツアー事前予約者という称号を得た人間のみです。優・越・感。
撮影会がふわっと終わると、いよいよこのフロントガーデンからツアー開始!
ジョンがなぜ実の母ジュリアではなく、伯母ミミのもとで暮らすことになったのか経緯をご存じの方は多いと思うのでこの記事では主に家にまつわるエピソードやツアーガイドで見聞きできる一部などを、個人的な感想も交えて記していきたいと思います。
そもそもMendipsとは
1930年代のリバプールでは郊外の住宅地開発が活発に行われており、Menlove Av.のあるWoolton地区も例外ではなく、あまた建設された新築のひとつがこのMendipsだったとのこと。1933年完工、もうすぐ築90年を迎えるセミデタッチドハウス(片面が別家とくっついている物件)です。
ジョージ&ミミのスミス夫妻がMenlove Av.のMendipsを購入したのは1939年のこと。スミス家は代々、酪農業と牛乳配達行などを営んでいたそうで、ジョージおじさんは当時ローワーミドルくらいの資産があったのではないかと思われます。というのも、このMenlove Av.のある地区は当時から銀行員や弁護士が住居を構えるミドルクラスのエリア。Mendipsは人生で初めてお邪魔したポッシュな邸宅だったとポールも度々インタビューなどで回想しているほどです。
ちなみにMendipsというのは住所や地名とは別の、家の愛称のようなもので、今でも英国の郊外ではそうした愛称を持つ大きなお宅が数多く見られます。そもそも愛称がある家というだけで、ポッシュな象徴なんですね。Mendipsという愛称はローマ風呂遺跡でおなじみ、Bath南方に位置するMendip Hillsという石灰岩からなる丘陵にちなんで名づけられたそうです。当時建設を担当した業者の「家に名前つけてポッシュ感足そうぜ」というセールス戦略もあったとか。
そして1946年、スミス夫妻の甥っ子である幼いジョン・レノンがこのMendipsに移り住みます。最愛の人たちとの突然の別れ、一生の友を得る時期を経て、ビートルズとしてデビューして1963年にロンドンに引っ越すまでジョンの大切な居場所のひとつになるわけですね。
このレポをまとめるにあたり、ジョンの多感な少年時代を描いた2009年UK公開の伝記映画「ノーウェアボーイ ひとりぼっちのあいつ」 (原題:Nohwere Boy )を久っしぶりに観直したのですが、家の間取りやインテリアなどがかなり忠実に再現されていることに気づいたので、こちらの本編もイメージとして参照しながら見ていきましょう。
ちなみに同様のジョンの伝記映画「In His Life: The John Lennon Story」(2000年)はナショナルトラストになる以前のMendipsの中で撮影が行われたほど気合が入っているのですが、演者の寄りの画が多いという非常にもったいない撮り方をしていて、部屋全体がよく見えないのがとても残念です。気になる方はこちらからどうぞ。
https://www.youtube.com/watch?v=ja-vNjiAdeU
ツアー開始!勝手口からお邪魔します
ツアーはフロントガーデンから裏庭へ向かいます。以下のざっくり間取りでいうと、ポーチ向かって左手から通路を通って裏庭へ向かい、キッチンの勝手口から中に入るという順路です。
ジョン少年のもっぱらの足はチャリ。自転車を停めている通路へ出るためにキッチンの勝手口から外出することが多かったそうです。映画でも再現されていました。
通路の突き当りにある裏庭は驚くほど広大だ!!
ミミおばさんジョージおじさんともに英国人らしく、ガーデナー気質だったそうで、いじり甲斐のある広大な庭にラズベリーやブラックベリーなどの木を植えるなど、よく手入れをしていたそうです。さらにジョンの良きバディであった愉快なジョージおじさんは庭の隅にジョン専用の小さなツリーハウスを作ってあげました。
「No one I think is in my tree」手元に出典がなく、簡易的にネットで調べただけでも詳細が出てこなかったので不確かですが、Strawberry Fields Foreverのこの印象的な歌詞は、このツリーハウスからインスパイアされた説を目にした記憶が…。
幼いながらも実の両親と一緒にいられない、他の家族と何かが違うという違和感を拭えずにいたであろうジョン少年。恐らくこのツリーハウスは現実から逃れられるちょっとしたシェルターになっていたのではないか。ジョージおじさんもジョンのそんな情緒を理解して、ジョンの自室とは別に、なおかつMendipsの家の外に誰のものでもないジョンだけの空間を作ってあげたのではないか、と思いました。もちろん単に庭で遊べるようにという意味合いもあったのでしょうけど。
ツリーハウスがあった木 ‟高くても低くても僕以外の誰もいない木” は残念ながらかなり昔に伐採されてしまったとのことです。
ミミおばさんの眼光が棲むキッチン
さて、裏庭を横目に勝手口からMendipsに呼ばれて、狭いキッチンに12人の大人がひしめき合いつつガイドさんの説明が進みます。
ミミおばさんがMendipsを引き払って以降、歴代の家主が改装を重ねたため、当時のオリジナルはほとんど残っていないそう。そのため、言ってしまえば現在のMendips内部は、ヨーコが2002年に家を買い取りナショナルトラストに寄付した際に、50年代インテリアにリストアしたレプリカ。それにしてもドアノブ、電気のスイッチひとつにしても細部まで気を抜かずに50年代の再現を徹底している心意気が素晴らしい。
ツアーで一発目に足を踏み入れるこのキッチンも、調理器具などの小道具が今にもジョン少年が勝手口から帰ってきそうな時代の雰囲気を掻き立ててくれます。
大きな窓が印象的なキッチン。ジョージおじさんが家を購入した際に、窓に向かうような間取りでシンクを立てつけたそう。先述のとおり、ジョンはキッチンの勝手口が出入りすることが多く、従ってジョンの友人たちもジョンに続いてキッチンからMendipsに出入りしていたのだとか。そこで戒律のひと・ミミおばさんの目が光るわけです。今日はどんな友達と遊ぶのか、悪さはしていないか、ジョンはちゃんと眼鏡をかけているか。ミミおばさんが炊事をしながらジョンを見張れる/見守れるというモニターシステムも完備!
ジョンのことなので監視の目をかいくぐろうと思えばできたものを、わざわざキッチンを通って出入りするあたり、ある種ミミおばさんに顔を見せるジョン少年なりの気遣いがあったのかも。
ワーキングクラスヒーローのリビングルーム
ここで間取りをもっかい見てみましょう。
キッチンの隣には朝食・軽食をとるためのモーニングルームと呼ばれる小さな部屋があり、ガイドさんから手荷物を置きたい人はこの部屋にどうぞと、案内があったので、寒いかと思ってショールやら追加のヒートテックやら何やら入れたリュックをここで降ろさせてもらいました。
ちなみに別段アナウンスがあったわけではないのですが、Mendipsまで我々を乗せたバスは外で待機せず、我々よりひとつ早いタイムスロットのツアー参加者を入れ違いでポールの家へ送るためMendipsを離れるので、車内に荷物を置くことはできないようです。
モーニングルームを抜けて廊下の突き当り、玄関手前の左手がリビングです。イギリスの住宅あるあるだと思うのですが、通りに面した通行人から中が見える部屋は人目に触れる用として少々インテリアに気合が入っているお宅が多いなと。Mendipsも例外ではなく、Menlove Av.に素敵な出窓が向かうこのリビング、まさにミドルクラスの何ものでもないキチッとした、とても綺麗なインテリアに仕上げられていたようです。
後にビートルズのマネージャーとなるブライアン・エプスタインもジョンとの契約のためにわざわざMendipsを訪れたそうで、恐らく通されたのはこの部屋だったのではないかと推測します。
この部屋を見たあとにWorking Class Heroを聴くと全く違和感しかありませんよ。
ポールがMendipsに遊びに来た時に、リビングルームにたくさん本があって驚いたと回想するインタビューを聞いたことがあります。恐らくこの暖炉脇の備え付けの本棚にひしめき合っていたのでしょう。ジョンのミドルネームの由来となったウィンストン・チャーチルに関する本もたくさんあったとか。チャーチルといえば、数年前の某雑誌のインタビューでポールがチャーチルにまつわるジョンとのアホな若気の至りメモリーを暴露していましたね。
ビートルズ創成期といった表現のみで、いつの年代の思い出なのか詳細不明ですが、ジョンの家でやったとの証言は確かなので現場はMendipsの可能性も大あり。
大まかな家・各部屋とそれらに沿ったジョンの歴史についてのガイド説明はこのリビングルームで終了。あとは自由行動となり、時間いっぱいまで家の中を好きに見て回れます。気になったことがあればガイドさんに何でも質問OK。参加者の全ての質問に対してとてもフレンドリーに受け答えされていました。私はというと、これまでのガイド説明で英語がよく聞き取れなかった内容を再度聞くという、もったいない質問の仕方をしてシマタヨ。
私的Mendipsツアー2つの目玉
小さなエコーチェンバー、ポーチ
自由行動開始後、独占するために真っ先に向かったのがポーチ。ジョンとポールのギターの音に耐えかねたミミおばさんが「ここでやんなさい」と2人を押し込めた玄関先ですね。
ところで、ポールがMendipsに遊びに来るたびに、ミミおばさんが毎回「ジョン!小さいお友達が見えたわよ!」って、2階の自室にいるジョンを呼んでいたというエピソード、ミミおばさんらしくてちょっと好きで。そらジョンより年下でたれ目ちゃんのベイビーフェイスだからと言って、わざわざ「小さいお友達」って言わんでも…って思いません?
映画では脚本監修も務めたポール。劇中のミミおばさんは実際よりも少し優しい人物像にしたそうなのですが、てことは、真のミミおばさんの鉄のマインドたるやいかなるものだったのか。ガイドさんが説明してくれたポールの証言からその片鱗を垣間見れます。
これ、もう遠回しに来るな的なことですよね。でもめげないのがポール。ミミおばさんの鉄分過多をものともせずにこのポーチでジョンとのセッションを重ねます。
実際は映画よりも激せま空間でしたが、ガラス張りの面積が多いポーチは音に若干のエコーがかかっているように聞こえるため、ジョンとポールも「ここ響いてよくね?」と楽しんでいたようです。ガイドさんの粋な演出で、ビートルズ初期の楽曲が流れるiPadがポーチに置かれましたが、確かに程良いエコーのエフェクト。玄関なのに人の出入りが少ないことも幸いして、この狭い空間で延々ギターをかき鳴らしていたのか。にしても狭い、横は2m行きそうなものの縦は1.5m前後のコンパクトさ。ギターネックがっつがつぶけそう。
この狭さが化学反応を起こしてお互いの距離をぐんぐん縮めたのでしょうな。そしてその距離が後にあらゆる歴史を作っていくことを考えると、宇宙ほどの広がりを持つ狭さ、という矛盾した不思議な空間に思えて身震いがしました。
ジョンの部屋
ひとしきりポーチで震えた後はジョンの部屋を拝見するために2階へ。リビングルームから出て向かいに重厚で急な階段があります。
階段を上がり、右手突き当りがジョンの部屋です。
もっかいだけ間取り見てもらっていいすか?
間取りではサイズ感が分かりにくいですが、ジョンの部屋はMenlove Av.に面したとても小さい寝室です。メインダイニング、リビングと2階の3つの寝室の中では一番の小ささ。ジョンがMendipsに移り住んだのは5歳の頃。子供には十分な大きさですが、ティーンになってもこの部屋が自室だったそうです。Quarrymenを組んでいた頃、大きい部屋は全て下宿人に貸出していたそうなので、ジョンに選択肢がなかったのか、ギターさえあればもっと大きい部屋が良いなどという欲がなかったのか。
Mendipsのインテリアはほとんどレプリカながら、何とこのジョンの部屋の壁紙は数少ないオリジナル!ミミおばさんがMendipsを出た後、寝室として使用されることがなかったことが幸いして完全に当時のままなのだそうです。この点はガイドさんも目玉だと確信があるのか、「じぃつはぁー」と、ため気味に話してくれました。まさしくIf this wall paper could talk。ジョンの毎日の目撃者だったわけですね。
画像だと分かりにくいですが、花のような幾何学模様がぷくっと浮き出ているレトロなエンボスデザインで、超かわいい。映画ではジョンの部屋はよりレトロ感を分かりやすく出すためなのか、色味が強く柄がはっきり見えるものになっていましたが、
非常に似たデザインの壁紙がリビングルームのシーンで見られました。Mendipsを再現するにあたり、相当リサーチしたことが伺えます。
このMendipsツアーで、今後永遠にガイドさんが語り継ぐであろうサブエピソードのひとつに「ディラン来訪」があります。そう、あのボブ・ディランが普通にツアー参加者の1人として2009年5月にMendipsにやって来たんですよ。ちょうど自身の欧州ツアー中で、リバプール公演の時期だったそうです。
エージェントを通してだったそうですが、一般客と同様に事前にきちんと予約してバスに相乗りして来るディラン、想像するだけでなんかちょっとおもろい。この日Mendipsを担当したガイドさんの話では、バスから降りてくるツアー参加者に混じって、普通にディランが1人でいたので、一瞬固まってしまったと。あまりにも普通にそこにいるためか、一緒にバスに乗っていたはずの他のツアー参加者は全くディランに気づいていない様子だったそうで、固まったその一瞬でも逆ズンドコベロンチョに陥ったガイドさんの錯乱は察するに余りあります。
そんなディランがMendips内でしばらく足を止めたのがこのジョンの部屋だったそうです。ジョンのお気に入りだった本が室内にディスプレイされていることに気づいて楽し気な様子だったそうですが、その内ディランは「少しこの部屋で1人にしてほしい」と申し出たのだとか。ジョンをよく知っていたディランだからこそ、この部屋の空気感がリアルに旧友のかつての姿を浮かび上がらせたのかもしれませんね。
この後1階に降りて、ジョンとシンシアが新婚ほやほやの時期に生まれたてのジュリアンと3人で寝泊まりしていたというダイニングルームを見て回っている内に全員ポーチに案内され、そのまま玄関から外に出され「あ、終わりなん?」みたいな感じでふわっとMendipsツアーが終了。11:30頃~12:15頃まで、約45分ほどの滞在でした。
ここでMendipsハイライトのレポは終了。以下、私の個人的な感想です。
Mendipsに寄せる感想
あまりポジティブなものではないのですが、Mendipsを初めて訪れた10年前も同様に感じたこと、どことなく淋しい家だな…。
時間帯のせいもあったのかもしれないのですが、西南向きの家なのに日当たりが悪く、日光が差し込む様子がなかったんですよね。かといって決して暗い印象はないのですが、ただ淋しいなというのが率直な感想です。
私、少年時代のジョンの写真をあまり見たくなくて。笑顔が固いというか、気を遣っているというか…なんか子供らしくないなという印象を強く受けます。つくづく、小さな身体では到底受け止められないモノを背負わされていたのだなと思ってしまいますね。それはもちろん実の両親から「パパとママどっちがいい?」という、あまりにも酷な選択を迫られたことも含めて。
小さなジョンが毎晩あの小さな部屋でどんな思いで眠っていたのだろうかと思うと、ちょっとねぇ…胸が痛いです。
だけどやっぱりMama don't goなんですよね。11歳頃からジョンはジュリアの家を訪ねるようになり、ジュリアもジョンに初めてのギターを買い与えてQuarrymenのギグにも足を運ぶなど、母子は空白の時間を取り戻すように一緒の時間を過ごします。
一方でジョンのためを思い、どんなに不自由のない生活と教育を与えても、ジョンの実の母・奔放な12歳下の妹ジュリアには決して勝てないのだと悟るミミおばさんの淋しさも、勝手ながらMendipsから感じました。夫に先立たれ、ジョンに一点集中だった愛情が仇になったとはいえ、ジュリアに会いに行ったジョンの帰りを1人で待つMendipsは無駄に広かっただろうなと。
そしてジュリアの事故。ガイドさんからその詳細も語られたのですが、家の中で話を聞くと非常に生々しく感じました。ミミおばさんとMendipsのゲートで話をして別れた後に車にひかれてしまったジュリア。なんとその追突音は家の中まで聞こえていたそうなのです。それくらいMendipsの目と鼻の先で起きた悲惨な事故だったんですね。本当にいたたまれない。
Mendipsは広くてすごく素敵なインテリアで、楽しい記憶もたくさんあるであろう家だけど、ミミおばさん・ジョン・ジュリアのとても純粋でとても不器用な愛があちこちにぶつかってお互いを傷つけてしまった家、ジョージおじさんとジュリアがいなくなってしまった家、その全てにジョンが1人で直面しなければならなかった家。
こうした子供時代の哀しい出来事がもとになって書かれたジョンの名曲も数多くありますが、Mendipsを回った後だと、そうした楽曲が存在せずに済んだのであれば、あたしゃそれで全然構わんよと思うほどです。しばらく「Mother」聴く気になれない。それほど淋しさがしみついた家だと感じました。あくまでも個人的に、です。
というところでシメめたいと思います。
さ、迎えのバスが来たところで次はポールの家に向かいます。
【後編】へ続く。
●画像クレジットがないものは筆者撮影
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