セクマイのお勉強しましょ❤️🔥
note初の書き込み
初記事なので、何度も書き足したり書き直したりしています
これからも この記事は 書き足したり、編集したりする予定ですm(_ _)m
テーマはなんと 堅苦しい “人権教育”です(・∀・)
とある繋がりで
教師をしている女性からの話でして、
セクシャルマイノリティーに関する人権教育をするにあたり
知識を得たいとの事でした。
私の友人に その種類の講演会をするトランスジェンダー🏳️⚧️当事者が居たりして
色々話を聞かせてもらう機会があったと同時に
私自身も言いたいことは山ほどある分野です。
私自身の学生時代の
過去の経験
いきなり30年くらい前の話ですが、
私が中学生くらいの頃 担任が社会の先生でしたが
社会の授業中に オカマなんておらへんよな みたいな前提の話題を振られて 自分自身のアイデンティティを否定的に扱われたり とか
そんな事 今でも忘れられない出来事なんですが、
私の周りに当事者がいたわけでもなく 友達と言える人が庇えるような空気感でもなく
とても気まずい経験でした。
社会の教師でそれ?
あんたさ、社会の何を勉強してきたの? って感じ。
なんでそんな無神経なのか、未だに謎
生徒にそれ言うかな??
それを踏まえて 考えたら
私に繋がってきて下さった
相談相手の素直さの可愛いらしい事😍…
先生だから と言っても
なんでも出来るわけじゃないですし、
セクシャルマイノリティーに関しては、
扱いが非当事者であれば、
簡単じゃない とは思います。
色々種類が多くて まるで複雑な設定の漫画みたい に思うこともあるし、
当事者である私も知らない言葉がまだまだ沢山あります(例 アンドロセクシャル/ガイネセクシャルとか)
自分と違うジャンルに
言葉の数だけ定義があり 個性が違う…そんなの全部覚えられないよねぇ…(꒪⌓꒪)
そこはわかりますが、
まず出発地点として
セクシャリティに関して
マイノリティーが居ない事を当たり前にするのはやめましょう って話ですね。
当事者からすれば 明らかな嫌がらせですし、
確実にその点は人権侵害だと思います。
当事者の知り合いがいるのかどうか?
ここら辺は 当事者に警戒されやすいタイプか 親密感を抱かれやすいタイプか、が如実に出てくる所ですね🤔
私は成人して教師を仕事としてるような人で
それまでの人生にセクシャルマイノリティーに出会ったことがないって言えてしまう人は
個人的には お付き合いしたくないですねぇ
カミングアウトする方も相手を見て選びますからね。
てめえみたいな無神経なやつが居るから…ため息混じりの憤怒…( ・᷄ὢ・᷅ )以下略
そんな人がまま いるので、
人権教育課題になったりするんではないでしょうか?
私に今回 相談で繋がった方は
私が学生時代からの知人であり 卒業してからも 私のイベントに来てくださったり パーティーでお会いしたり
SNS等で繋がったり と色々やり取りが重なってきて 今があります。
私が学生時代の時
髪に花を挿して遊んでたのをキッカケに 会話するようになったそうです。
私自身はすっかり忘れてた事ですが、
その当時 学ランで学校に通ってたので、
私も自由(制服への抵抗や反発も込みで)ですが、
それ見て 声かけたその方も相当 自由な感性をお持ちですね
このエピソードだけでも
セクマイ非当事者であっても
語る資格は十分おありなんじゃないでしょうか?
遠慮なく 自信を持って話すことがとても大切だと思います。
迷いながら話すと 相手にも不信感与えちゃうし、
無神経なタイプは
セクマイ 居ない 知らない 前提だからこそ
迷いがありません
だから、私たちにとっては
とても迷惑ですし、
理解力があるタイプの人は 気を使いすぎて腰が引けてしまう…だと バランスが悪いですね。
そこを変えるために
私のサポートで 役立てるなら ぜひ お役に立ちたいです。
また、学生時代の私は
言葉でカミングアウトしまくっていた訳ではなく、
今よりもっと自分を知らないで、曖昧な存在でした。
学生でしたし 何より今と違って情報が少なかった。
その中で 感性と感性が惹かれあった というのなら
セクシャリティ云々 という前に 人として お互い好意があるという事で
そこが起点だったら
その感性に自信を持って メッセージを発する
リーダー性が
相談者の方にはあるのだと思います。
当事者とそれ以外
私の場合 当事者なので、どうしても 目線が偏るのですが、
今回 改めて 非当事者の周りの方々がどのように 当事者を扱っていけば良いのか、
現場に混乱が相当にあるという事も 見えてきました。
当事者生徒と 非当事者教師
当事者の生徒の親と学校側
当事者の教師と非当事者の教師や生徒…
考えるだけでも混乱します…(꒪⌓꒪)
これは、他のさまざまな授業や業務がある中で、
学校内だけでなんとかするのも 無理があると思います。
そこはスクールカウンセラーなどもいるような学校らしいので、
そういう方にサポートを頼むのも一つだと思います。
が、
私も 短大に卒業後遊びに行った際に
急遽 そこのスクールカウンセラー(女性恐らくシスジェンダー)さんと一緒に
セクシャルマイノリティーの現役生徒さんの話を聞かせていただく ということがありました。
私も急なことだったので、
みなさまの何かのお役に立てたのか、はっきりとはしませんが、
スクールカウンセラーであっても セクシャリティの取り扱いに関しては 初めてだったり、戸惑いもあるという人も多いのかな という印象です。
芸大ですし飛び抜けて
個性的な感じでしたが、その後 どうしてらっしゃるのかなぁ?
進学したとお聞きしたような…
今は昔と違い
セクマイ(セクシャルマイノリティー)であっても 全然 情報の検索には困りません。
むしろ、学生当事者の方が 詳しいかも(꒪⌓꒪)
そういう意味では 生徒や当事者教師個人の方が情報や環境変化に敏感であり、
学校のような集団となると
対応は どうしても古臭いと言うか、後手になりやすく
今を生きる当事者としては焦ったいものになりがち でしょう。
所属する学校や団体が
先手を打って 環境が整備してくれている訳じゃないですから。
でも、当事者自身も あまり
そこで多くを望みすぎないことも大切だと思います。
未だに 差別も偏見もあるのが日常で、被害者意識を持とうと思えばその材料に困ることはありません
自分の気持ち次第で
対応してもらえて有難いなという 感謝の気持ちや
あまりに細かい事を 色々と欲求し続けるような(口煩い少数派←ラウドマイノリティ)事をしていては
本末転倒でしょう。
致命傷以外の傷は
受け入れる覚悟も マイノリティーとして生きていくには
必要な時代だとも感じます🌈
希望はありますが
知識を探し続けることと共に
楽観するにはまだまだ 早いのです。
傷つくにしても
自分の許容範囲というものを
自分で知っておきたいところですよね。
セクシャルマイノリティーと発達障害等の他の困りごとについて
また、セクシャリティとは別に
発達障害等の 問題もあります。
これは、一人の人に複合している場合もありますが、
別々に 対応が必要な所で、
発達は発達で 本人が楽になれる方法探しは 生きてる限り 続けていく必要があると思います。
学生時代から サポートをお願いできるように 訓練しておけば 実社会に出ても まだ
対応できる現場が増やせるかもしれません。
私は今は ふくやよしみさんという専属セラピストをもうすぐ15年くらいついていただいておりますが、
21年前 24歳で ショーダンサーデビューして以降 すぐにあらゆるトラブルが続いたのをキッカケに
さまざまなセラピストにサポートしてもらって
新しいセラピストを探して 探して渡り歩いてきて
で、今があります。
私自身が発達障害(ADHDもASDもある)で、長らく苦労していましたが、
30代後半ごろにやっと その事に気がつき 時間をかけて受け入れていきました。
私の場合 才能と発達障害はセットでキャラのようになってたので、(アーティストは気まぐれだよね!みたいな捉えられ方でした)
比較的 周りの受け入れは
出来上がってたし、
私のそのキャラがダメだって思わせてしまった人々はもう
全員 離れた後だったので、
発達障害自体は
そこまで深刻な問題では無かったと今では思います。
セクマイの人と友達の人とそうで無い人
私は セクシャルマイノリティーとして 何かを語り出すと すぐに熱くなりますし、
言いたい事や伝えたいストーリーはたくさんありますけれど、
情熱があり過ぎて
周りと常に
温度差があります。
相手が変わることを期待してしまったり
押し付けがましく なり過ぎてしまってたり、
そういう事が
私の人生でたくさんありました。
昔から 感じることがあるんですが、
私が 思うのは
セクマイの人がそばに居る人と
そんなことない人とでは
大きな差があるなと 思います。
自然に接する機会が多ければ、
嫌な面も勿論見るだろうけど
良い面もわかるだろうし
自然と普通な所や共通点もいっぱい 見つけられると思うんですよね。
幸か不幸か
見えない存在 見えにくい存在としての
セクシャルマイノリティーとは
可視化されないから
問題があると
わかってもらえない
わかってもらいにくい ということがありました。
パレードとか 結婚の平等とか
そういうことが
ニュースになり SNSで
頻繁にトピックになったりする流れも
今はだいぶ増えてきてるけど、
都会じゃない所では
やっぱりまだ 未知の生物?みたいに
感じてる人もまだまだいらっしゃるような。
私は 【歩くカミングアウト】
私のセクシャリティはほぼオープンな状態なので、やっぱりよく
ターゲットになります。
素顔の素の私を見て 普通の男性だと
感じる人は少ないでしょう
いわゆる“オカマ”らしさ というのは
私の内面から常に溢れ出していますし
私も他人も それを止めようもありません
生命エネルギーの根源から
私は “オカマ”なので…
オカマって 言葉は
人権学習では 絶対使わないと思いますが
私は 人生を通して 付き合ってきた 言葉ですし、
今となっては愛をも感じる言葉。
世間がNGでも、私にとっては葬り去れない言葉なのであえて使います。
歩くカミングアウト オカマという言葉
これらはセットで 私の人生と個性を組み立てる重要なパーツとなり、
私という人とは切り離せないようなものに今はなっています。
時間が出来次第まだまだ続く…
予定^_^
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