✨曾谷殿御返事✨
『謗法(ホウボウ)を責めずして成仏を願はば火の中に
水を求め水の中に火を尋ぬるが如くなるべしはかなし・はかなし、何(イカ)に法華経を信じ給(タマ)うとも謗法あらば必ず地獄にをつべし、漆(ウルシ)千ばいに
蟹の足一つ入れたらんが如し、毒気深入(ドッケジンニュウ)・失本心故(シッポンシンコ)は是(コレ)なり』
🦄通解🦄
謗法を責めないで成仏を願うのは、火の中に水を
求め、水の中に火を尋ねるようなものです。
はかないことです。はかないことです。
どれほど法華経を信じられても、謗法があるならば必ず地獄に堕ちるのです。
千杯分の漆の中に蟹の足を一つ入れたようなものです。寿量品に「毒気が深く入って本心を失ったからである」とあるのは、このことです。
🌻解説🌻
日蓮大聖人は本抄で、末法における成仏の要諦は
南無妙法蓮華経であり、それを弘める正しい師に
従っていくことであると示され、人々を不幸へ導く悪とは徹底して戦うよう教えられています。
「謗法」とは、正法を誹謗することです。
万人成仏の法を誹謗するということは、
自他共の幸福の道を閉ざすことになります。
ゆえに大聖人は、謗法を責めずに、いくら仏道修行に励んでも、火の中に水を、水の中に火を探し求めるように愚かなことだと述べられます。
さらに、たくさんの漆も蟹の足を一本入れるだけで効力がなくなってしまうように、謗法が少しでもあれば、地獄に堕ちるとまで仰せです。
悪と戦わなければ、自身の生命の無明に、のみ込まれてしまいます。悪を許さず、謗法を責め抜く中に、真実の幸福があるのです。
だからこそ常に求道の心を燃やし、自分自身の内に潜む「臆病」や「諦め」という魔性の働きに負けないことが大切です。
創価三代の会長は、あらゆる大難と戦い抜き、学会の正義を満天下に示してきました。
その師の心を受け継ぎ、わが地域で「正義」を堂々と語りながら、友情のスクラムを、大きく広げていきましょう。
🌞池田先生🌞
「内なる悪」を自覚し、その克服に努力しなければ、とたんに悪に染まってしまう。その意味で、「善人」とは
「悪と戦ってる人」です。
外の悪と戦うことによって、
自分の内なる悪を浄化している人のことです。
この軌道が人間革命の軌道です。