「資格(カタチ)を持っていれば安泰じゃないけど安心感だけはある」などと言っており。

「今の時代、資格を持っているからって安心できることなんてない」と言われて久しいけれど、このド正論について感情的な反論をしたい。持ってるだけで気分がいいならそれでいいじゃないか、その人さえよければ。形になるものを欲しがって何が悪いんだ。

太陽・月とも牡牛座で固められた自分が、形になるものを欲しがるのは自然なことであり、それによって安心感を得られる。それが、占いにどっぷり浸かるようになって知った自分の性質のひとつだった。ああ、だから学生時代から「◯◯(資格・免許職)になりたい」って言ってたのか、とため息をついた。そして、形になるものに憧れるけど、なかなか手にしにくいかもしれない…ということも占いで気づいた。

今自分が持っている、一番仕事に直結しそうな免許といえば中・高の教員免許だ。しかし使ったことがない。今からでも使ってみようかと真剣に考えたこともあるが、さすがにいろいろと厳しいものがあった。

現在、教員の激務ぶりが知られているうえ、過去の採用を抑えていたことなどから年々なり手は減少し、公立教員の採用試験は一部定員割れ。現場も教員不足に陥っている。このことを知った時は、ざまあみろ、あの頃私を落としたからバチが当たったのだとツイートしてしまった。私が大学4年の時に受験した教員採用試験は1人の採用枠に300人以上の応募があるという始末だった。いったい誰が採用されたのか。もちろん大学の同期で教員になった人は何人かいたけど、みんなとっくに辞めている。どうしてこうなった教育業界。

話を戻そう。子育てと生活費稼ぎに翻弄されつつも、7年ほど前まで真面目に勉強を進めていたことがあった。だが子どもの中学受験にパワーを注ぎ始めたら完全にそれどころではなくなってしまい、わざわざ編入した通信制大学も辞めてしまった。今、やり直そうにもなぜかその学問に対する心が乾いてしまって再起動できていない。ただし捨てられない女なので、専門書や参考書がまだとってある。先日ようやく一部メルカリに出した。

このときの決着がついてないせいか、今また何かキャリアチェンジにつながることをやっておきたいという気持ち(具体的に決まっていないし占いではない。占いはもう生活の一部)があるけど「飽きっぽい自分のことだからまた挫折するんじゃないか」という恐れがある。

こういう思いを笑い、声に出せばバカバカしいと言うむきもあるだろうけど、まあ実際そこを考えすぎるのは確かにバカバカしい。最終的に何らかの資格なり免許なりを取って自己満足するという行為をするであろうと思われる。形も保証もないものを、形を追いかけることで得て安心しようとする……って矛盾しているけど、そういえばこれ、結婚などでも同じ。まあ自分の人生ってそんなもんかもしれません。

その恐れをICCで引いてみた日。










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